[1]自己紹介をお願いします
大学を卒業して、株式会社第一興商へ入社しました。大学時代は電子工学部で、専門がハードウェア寄り。音楽が好きだったこともあり、カラオケで有名な第一興商を選びました。2年勤めた後は、IT企業で働いたりニートの期間があったりしながら(笑)、着うた・着メロ全盛期にテレビ局の着メロサイトを作る中で、モバイルというデバイスに出会ってのめり込んでいきました。
モバイルサービスの一番の魅力は、作ったサービスに対してユーザーからリアクションがあること。カラオケやPCメインの仕事では、サービスをリリースしても、ユーザーにどんな風に使われているのかどんな風に受けとめられているのかが見えにくかったけれど、モバイルになった途端、瞬時に売り上げや利用者数といった数値にダイレクトに反映されることが面白かったんです。
当時はモバイルのエンジニアでしたが、ベンチャー企業だったこともあり、営業も企画も担当していました。エンジニアは、自分たちでしか理解できない独特の言語を使いがちですが、僕は人と話をするのが得意だった。だから、お客さんとエンジニアをつなぐ通訳のような役割も果たしていました。自分としては特別なこととは思っていませんでしたが、"通訳が出来るエンジニア"は希少とされて、エンジニアという枠を超えたディレクターとしてキャリアを積んでいったんです。
その後、2008年9月にリーマンショックが起きるわけですが、その影響が大きくなる前、同年12月にヤフー株式会社へと転職しました。
当時は「何の仕事をしてるの?」と聞かれたら、「モバイルの仕事をしている」と答えるほど、モバイル領域全般の仕事をしていて、エンジニアという自覚もありませんでした。その後、2009年頃にスマートフォンの波がやってきて、エンジニアからプロダクトマネージャーへと立ち位置をコンバートし、とにかく新規アプリを作り続けるという展開に。
3か月に1本新しいプロダクトをリリースするという、ヤフーの中でもかなり特異なチームでした。かなり忙しかったけれど、楽しかった思い出しかないほど、好きなことだけやっていました。思いついたアイデアはなんでも形にできるような感覚すらあって、まさにハックマインドで仕事をしていたような気がします。
そうこうしている間に2012年、ヤフーの経営陣刷新に伴い、ヤフーのトップページアプリの責任者に任命されました。振り返ってみれば、ヤフーへは部下なしのリーダークラスで入社した後に本部長にまで昇進しました。冗談ではなく、あっという間に担当する領域も受け持つ部下の数も広がった感覚でしたね。
プライベートでは子供が生まれましたが、産前産後、妻の調子があまり良くなかったんです。それまではオンとオフの境もないほどに、24時間働いているようなスタイルでしたが、そうはいかなくなりました。思い存分働けない状況になった時、会社は時短勤務でもと、別の働き方を提案してくれたんですが、思い切って退職をすることに決めました。
そしてその後、KDDIへと転職。1年前にグループ会社のmedibaへ異動しCXOとして仕事をしています。
[2]現在の社内での役割について教えてください
便宜上UXデザイナーと名乗ってはいるものの、会社の全ての領域におけるファシリテーションが、自分の仕事だと感じています。僕自身が意思決定をすることはもちろんありますが、意思決定をできる人を増やしていくこと。具体的には、人事システムをはじめとした組織人事全体の企画設計もそう、中期経営計画立案のための合宿企画とそのファシリテーションもそうです。
今期からは、全社の重点KPIに「ユーザー中心目標」という項目を設定し、ユーザーの体験をより良いものにしていく。そのために、どういう行動が賞賛されるものか・されないものかまで明らかにして、組織として個人として行動がしやすくなるようにデザインをしています。KDDIはグループ全体で社員が3万5千名ほどいますが、medibaの東京オフィスは200数十名規模。彼ら彼女らが、ユーザー中心の思考と行動ができるようになり、KDDI全体の中でものづくりの仕事に欠かせない人材となってくれることを目指しています。[3]小中学生時代はどんなお子さんだったのでしょう?
幼稚園時代から、活発で目立つ子どもでした。例えば、卒園生代表として挨拶をすることを事前に親に話していなくて、式に出席した親が、名前を呼ばれて前に進む僕を見て「え、聞いてないよ!」と驚いたというエピソードもあったほどです。[4]高校、大学時代はどのような学生でしたか?
高校では体育祭の応援団長を務めるなど、目立つキャラクターでした。好かれるばかりではなく敵も多かったですが、嫌われること自体は怖くなく、相手が自分のことを嫌いだとわかっても、相手を嫌いになることもなかったですし、物怖じもせず普通でいられました。今に通じる性格があるとしたら、子どもの頃からリーダーキャラで、周囲の反対があっても突き通したい我の強さみたいなものがあったのかなと思います。[5]ご自身の専門性をいつごろ決めたのでしょうか? その理由についても教えてください
難しい質問ですね。自分の専門性について、いつ決めたという感覚はないですが、KDDIに入った時にユーザー体験の改善を自分のテーマとした時からUXデザイナーと名乗っています。ユーザーに心地よい体験を提供することは自分の興味が強い分野だと思います。ただし、最も好きなのはプロダクトマネジメントです。[6]専門的スキルは主にどこで獲得したのですか?
ユーザーエクスペリエンスやUXという単語は使っていないし意識もしていませんでしたが、ポータルサイトのアプリ責任者を任されて以降の、ヤフーでの経験だと思います。「ユーザーを知りたい」「ユーザーを知らなければ商品・サービスは作れない」という感覚で、ユーザーへインタビューを行い、現状のサービスを改善するなど、まさにユーザー中心でサービスを作っていきました。
ユーザーは、ヤフーという会社やブランドが好きでポータルサイトを使っているわけではありません。もちろん、ヤフーブランドを愛する人も一定量いるとは思いますが、みんながそうとは言えないという危機感を強く持っていたからこその考えでした。もしも逆に、ヤフーというブランドを信頼しすぎていたり、すごい編集者がいるから問題ないと思い込んでいたりしたら、対応は違ったと思います。でも、極端な表現かもしれませんが、ユーザーを見ているからこそ、「ただそこにあったから」「最初に利用したポータルサイトがヤフーだったから」、利用されているだけなんだとわかりました。ここでの経験により、一層ユーザー中心の考え方を持つようになったと思います。[7]リーダーシップやマネージメントに関する経験やスキルは、いつ、どこで獲得したのでしょう?
具体的にどこで獲得したということでもなく、挑戦をして失敗もしながらついてきたスキルのような気がしています。マネージメントとしては、本人の意欲や能力に頼るだけではなく、仕組みで支えることを徹底しています。
現在medibaでは新規事業開発も担当しているので、新規事業を作って伸ばすやり方をハンズオンで実践しています。最初は誰もみんな、何をどうしていいかわからないもの。でも実際に、ブレイクスルーする"アハ体験"をすることが大切なんです。新規事業と言われると身構えて、リリースするよりも机上で考える時間が多いことが大半ですが、まずはリリースしてみてユーザーの反応を見て調整するというサイクルを覚える。そうすれば、良い反応があれば嬉しいしそうでなければ悩むという、健全なネクストアクションにつながっていきます。そして当たり前のことですが、その喜びや悩みの中心には常に、ユーザー視点がある。今少しずつ、そのあり方が根付き始めている感覚です。
多くの会社で、打席に立たせることもなく打率を上げろというメッセージが横行しているようにも見えますが、それは無理な話です。繰り返し実践しないと、型なんて身につくはずがない。medibaでは、新規事業を創出するためにも、今は打席に立つ数を増やそうとしています。具体的には、ユーザー調査を徹底した上で新商品・サービスをリリースすること。今はそれ自体を目標に置いていて、打率は求めていません。とは言え、失敗を許容しているわけでもないんです。ただ、打席に立たなければ成長はしないと思っているので、できるだけ打席に立つ経験を増やすことから始めようとしているだけ。打席に立つことがきちんと型化されて、みんなの当たり前になったら、プロセスを目標にすることはやめて、成果を見ていくつもりです。[8]キャリア形成上の転機があったとすれば、それはいつのことですか?
二点あると思っています。一点目はヤフーで、屋台骨であるポータルサイトのアプリ責任者に任命されて以降の経験です。ヤフー入社後は、新規アプリ開発を行っていたのですが、2012年に経営陣が刷新されたタイミングで、ポータルサイトのアプリ責任者へと声がかかりました。アプリの新規開発をしていた頃から当然、ユーザーインタビューやユーザービリティテストは行っていましたが、ポータルサイトにかかわることが決まった際、あまりにも対象が広範囲すぎて、一体ユーザーが誰なのかがイメージが持てなかったんです。そこで、まずユーザーインタビューを実施して、改善することからはじめたところ、一気に数字が伸びました。そこで学んだことは、自分が想像する範囲やレベルは、思い込みにすぎないということでした。
ちなみに、日本においては、デイリーアクティブユーザーが200万人を超えてくると、電車などで自社の商品・サービスの利用者に出会えると言われています。僕自身、もはや癖になってしまっているのですが、電車での移動中などで、自社サービスを利用いただいているユーザーさんを、ついつい目で追ってしまいます(笑)。ユーザーさんが日常生活の中でどのように、自社サービスを取り入れてくれているのか。その振る舞いの中から、課題を発見することこそが、本当の意味での課題解決につながるという思いが根底にあるからです。
二点目は2011年の3月11日、東日本大震災の経験です。ヤフーのポータルサイトで災害状況を伝えた経験は、まさに全人口がユーザーになったと感じる瞬間でした。これまでは、数十万・数百万人のユーザーを対象として物事を見ていましたが、全人口が対象ユーザーだと思うようになったんです。命に関わる情報を扱っているという意味で、インターネット企業としての責務も感じるようになったことで、視野が広がり視座が上がったと思います。
medibaへ移った後、記録的な猛暑に襲われた2018年の出来事ですが、熱中症で子供が一人亡くなったという報せを受けてすぐに、警笛を鳴らすべきだと、au Webポータルに熱中症情報を載せました。熱中症についてテレビニュースが大きく報じる前のことで、モバイルやインターネット企業だからこその迅速さで、対応できた出来事のひとつではないかと思っています。[9]強く印象に残っている試練やストレッチの経験について教えてください
直近ですがKDDIでの経験です。KDDIにおける自分の役割は、プロジェクトを立ち上げてグロースさせていくだけではダメ。個人的な仕事の楽しさだけでいえばすごく楽しいし、むしろ天職じゃないかと思えるほどです。ただし役割が大きくなっている中で、自分だけでなく他の社員たちが、ユーザーを中心に据えて物事を考えて課題解決をしていく状態をつくらなければと考えていました。しかしKDDI在籍中の2年間では、その状態を実現することはできませんでした。会社の仕組みや中間管理職のマインドなどを大きく変革することはできなかったことは、大きな挫折経験だと捉えています。非常に苦しかったですし、今も苦い思いは忘れてはいません。[10]影響を受けた先輩や、師匠といえるかたはいらっしゃいますか?
ヤフー在籍時代の最初の上司、野崎さんです。自由奔放な僕のことを、見て見ぬふりをして(笑)育ててくれた方です。ただ放任するのではなく、見ているけれど見ていないふりをしてくれたからこそ、思い切った挑戦ができました。野崎さんがいたから今の自分があると思っていますし、すぐに指摘したくなる気持ちを我慢して任せることができるのも、野崎さんのお陰です。[11]座右の銘や、独自の哲学などをお持ちですか?
ラクスル株式会社のビジョン、「仕組みを変えれば、世界はもっと良くなる」です。物事をより良くするためには、誰か特定の人や事象が悪くて改善しなければいけないのではなく、仕組みに着目するべき。仕組みが変われば世の中が良くなるというのはまさに、エクスペリエンスデザインの本質だと思っています。この言葉がすごく好きですね。[12]感動し、影響を受けた本や映画などがあれば教えてください
是枝裕和監督の『ワンダフルライフ』です。死後の世界を描いた映画で、成仏する前にひとつだけ生前の思い出を持っていけるという内容ですが、自分の人生で選ぶとしたら何だろうと思いながら観ています。ただ、何度観ても「ひとつなんて選べない」が結論です。この映画を超える映画にはまだ出会っていないほど、大好きで繰り返し観ている映画です。[13]CXO(Chief Experience Officer)として今後必要なスキルや資質についてはどのようにお考えでしょうか
様々なスキル・資質があると思いますが、ひとつ挙げるとしたら倫理観でしょうか。テクノロジーの発達に伴って、言葉を選ばずに言えば、簡単に顧客を騙してコンバージョンレート(CVR/ウェブサイト に訪れた人のうち、最終成果に至った人の割合)を上げることもできるようになります。だからこそ、自分たちの持つ影響力の強さを認識した上で、倫理観を持って仕事ができるかどうかが最も大切になると思います。[14]ご自身の今後のキャリアビジョンについて教えてください
もう一度、自分の好きなプロダクトに対して、時間も何もかも気にせず没入したいですね。今も毎朝、趣味のようにグーグルアナリティクスを見ているんですが、ユーザーの行動分析から新たな発見をして、またサービスに反映させる。こういったものづくりに、どっぷり浸かりたいです。[15]若い方々へメッセージ、アドバイスをお願いします
ユーザー中心の考え方を持つことで、自分の価値観だけで物事は測れないことを知り、アウトプットしてくれる人が増えたらと願っています。そのために、自分が貢献できることは何でもしたいと思っています。