【前編】転身は偶然であり必然。
経営へのオーナーシップを追求した結果、スタートアップへ
<キャリアの変遷と所属企業の紹介>
【中川】まずは坂本さんにキャリアの変遷からお伺いしたいと思います。京都大学を卒業されていますが、学生時代は経済や経営ではなく、社会学や精神学に興味があったそうですね。
【株式会社HQ 代表取締役 坂本祥二氏、以下 坂本】京都大学は、もちろん人にはよりますが、資本主義における成功を批判的に捉えるカルチャーがあって、友達も「社会人として成功しよう」というより、哲学的な議論を好んで広い視野で考えるメンバーが多かったんです。私が所属していた総合人間学部は、就職先も非常に幅広く、大手企業に入る人よりも、弁護士、NPO/NGO、研究者、医学部再受験、地方就職なども目立ちました。
【中川】その環境におられて、坂本さんがいわば資本主義の象徴のような外資系投資銀行のモルガン・スタンレーに就職されたのはなぜですか?
【坂本】最初は軽い気持ちでした。色々な業種のインターンシップに行ったのですが、そのなかのひとつが投資銀行でした。実際に疑似的に業務に取り組む中で、「若くても真剣勝負できる雰囲気」や「業界/企業分析や提案策定の面白さ」を感じる中で、自分に合っていると思うようになり、投資銀行部門に絞って就職活動をして、モルガン・スタンレーを選びました。とはいえ、ビジネスや経営の知識が全くないまま入社したので、最初は本当に苦労しました。
モルガン・スタンレーでは、テクノロジー産業のM&AやIPO・資金調達を担当していました。当時の投資銀行では重厚長大な産業で成熟した大企業を担当するのが王道でしたが、私は、当時は亜流といっていい、高成長業種・企業を担当するチームで働いていました。
【中川】続いて、藪内さんにお伺いできればと思います。東京大学の薬学部を卒業されて、投資銀行のJPモルガンへ入社された経緯からお伺いできますか?
【株式会社enechain 取締役CFO・藪内 悠貴氏、以下 藪内】実体験から創薬に強い関心があって薬学部に進学したんですが、やっている中で自分に実験が向いてないと思ったり、元々認識していたものの創薬にかかる時間軸(1つの薬を上市するのに平均10年以上必要な道のり)と自分の志向のギャップを感じるようになりました。そんな中で、「Share-Project(シェアプロジェクト)」という学生団体主催の勉強会に参加したのが、投資銀行業務に興味をもったきっかけです。Share-Projectは現役の投資銀行のプロフェッショナルも講師として参加し、3ヶ月ほどかけて他の学生参加者とグループワークで投資銀行業務(M&Aの提案)を模擬体験する、というものでした。
そこで初めて投資銀行業務に触れて、M&A業務の奥深さとチームワークの楽しさを知りました。当時、医薬品業界ではM&Aが活発化していたタイミングで、創薬に携わる以外の貢献の在り方も面白いと思い、その後にJPモルガンで2カ月間インターンとして働く機会を得ました。実際に現場で働いてみるとチームワークや自分達の提案が業界全体を動かし得るダイナミックさが非常に面白いと感じました。リーマンショック直後ではありましたが、2008年冬にJPモルガンからそのままオファーをいただき、カルチャーフィットも感じた同社に、就職活動が本格化する前に入社を決めました。
【中川】JPモルガンではどんな仕事をされていたんですか?
【藪内】当時組織は業界軸で区切られており、金融業界以外の顧客のM&Aやファイナンスは提案から案件遂行まで一気通貫で担当するチームで、幅広く経験することができました。次のキャリアとして選ぶ投資ファンドとの関係性で言うと、官民ファンドの半導体大手の出資案件や、案件時にカーライルが相手方に居たり、身近でファンドの動きを見る中で強く関心を持つようになりました。その他にも、航空大手のグローバルオファリング、IPO案件、最後はテック企業の経営統合も担当しました。テック系のクライアントは最後の経営統合案件くらいで、基本は重厚長大なお客様が多かったと思います。その後、カーライルに転職しました。
【中川】ファーストキャリアを経て、お二人ともPEファンドのカーライルに転職されています。なぜPEか、その中でもカーライルを選んだかを、まず坂本さんからお願いします。
【坂本】モルガン・スタンレー時代に、ニューヨークのテクノロジーチームに一年間赴任したんです。シリコンバレー・スタートアップ系の創業社長やCFOは、日本の大企業とは、仕事の進め方が全く違いました。とにかく意思決定が早いし、細かい。役員レベルでも、エクセルの数字まで細かく見て迅速に意思決定をする。自分が企業価値の向上に寄与してるという実感があって面白かったですね。
赴任がきっかけで、創業経営者と一緒に働くことができるPEファンドというビジネスモデルに興味を持ちました。株式を全部コントロールして背負うというビジネスモデルで、経営者の方も一定リスクをとったり、ストックオプションなどを持つこともある。そう感じていた時に、たまたまカーライルの方々と出会って転職しました。
【藪内】私は、JPモルガンで一年以上協議していたM&A案件が無事クロージングを迎えたのですが、投資銀行ではM&Aの完了とともに関与が終わってしまいます。特にM&A後のバリューアップが非常に大事な案件だったため、そこで関与が終わってしまうことが残念に思うこともあり、M&Aプロセスだけでなく、その後のバリューアップやエグジットまで含めて一気通貫で関わりたいと思うようになりました。その観点でファンドを選ぶ軸としても、ポートフォリオのバリューアップ担当が投資チームと別に存在するのではなく、一人のプロフェッショナルが投資からバリューアップ、最後のエグジットプロセスまで一気通貫で担当する環境が良いと思っていました。またグローバルネットワークの差別化要素もJPモルガンで強く実感していたのですが、それが全て満たされるのはカーライルのみでした。
【中川】お二人がカーライルで働いていた期間は、半年ぐらい重なっていますね。
【藪内】はい。坂本さんは当時から個を前面に出されている感じで、自分の考えをはっきり言うスタイルは見習わせていただいたポイントではあります。
【坂本】藪内さんは、どんな方ともきれいに働かれるという印象でした。僕はどちらかと言うと直接話して進めるといった感じで、間にいる人とトラブルになったりすることもありまして...いわゆる亜流なんですが、藪内さんは王道感がある(笑)。同世代で、似たキャリア変遷を辿っていますが、キャラは全然違います。
【藪内】仕事の進め方は違っていても縦横の繋がりは結構強くて、カーライルを坂本さんが先に卒業されてからも、スタートアップへの転職について相談しに行ったりもしました。卒業した今でも様々な方とご縁が続いていますし、そこは改めて良かったなと思っています。
【中川】カーライル出身の方は、多方面で活躍されていますからね。お二人に是非お伺いしたいんですが、カーライルでの印象深い案件や、今に活きている学びはありますか?
【坂本】内部のメンバーからの刺激はもちろん大きいのですが、共にプロジェクトをご一緒する経営者の方から学ぶことも非常に勉強になったことが印象に残っています。とある案件では、戦後の日本を代表する企業の元会長・社長であった方にもアドバイザーとして入っていただいていました。ご年齢は70代ながら、燃え盛るようなエネルギーに溢れている方で、コスト削減などの規律や立ち振る舞い、経営者としてのマインドセットについて学びを得ました。
案件としては大きなリターンが出た部類のものではないのですが、成功したもの以上に学びもありました。難事にどう振る舞うか、普段良い人でも最後まで背負う人か否かが大切ということにも気付かされ、個人的にはすごく印象に残っている案件です。
【藪内】私もカーライル時代に、様々な軸でのロールモデルのイメージをリアルに醸成できるようになったのは非常に良かったと思っています。投資家側は勿論ですが、投資先のCEO/CFOやマネジメント層と密に協働する中で、「自分もこうあるべき、こうなりたい」という具体的なイメージを持てるようになったのは何にも替えがたい経験でした。
そもそもカーライルへの入社時は、次のキャリアとしてスタートアップは視野に全く入っていなかったのですが、そのマインドセットを大きく変えてくれたのは、様々な素晴らしい経営者の方々との協働がきっかけです。企業価値最大化の観点で最終責任を負うのは株主ですが、経営者に経営をやってもらう立場でもあり、自分は自ら経営側に立って様々な局面や難題に向き合っていきたいという思いが生まれていきました。
それから、当時のカーライルでは珍しかったですが、平日週4日は投資先に席を置いて協働することもありました。自分がいかにバリューを出すかを考えて、会社の現場の中に入り込んで試行錯誤したのは、経営者としていかに価値貢献できるかを見出せた良い経験だったと思っています。その頃はその会社に関する夢を毎日見るくらい必死にやっていました。
【中川】お二人とも泥臭い経験をされているのですね。藪内さんはなぜスタートアップで、かつPaidy(ペイディ)を選ばれたんですか?
【藪内】スタートアップへの最初の転職を考えた時に、事業ポテンシャルの大きさ、個人としての成長環境の二点をすごく重視していました。32歳でPaidyに移ったんですが、事業会社は初めてでしたし、自分がどこまで成長曲線を加速できるかは大事にしていました。当時BNPL(注:Buy Now Pay Later)というワードが世の中に出てくる前でしたが、今後の事業ポテンシャルの大きさは感じました。また社員の過半数が外国人で社内の公用語が英語というのもあって、CEO、創業者や株主含めたステイクホルダーも常にグローバルを目線においたチャレンジをしており、自分としてもその仲間として新しいチャレンジができることに魅力を感じたのが、Paidyを選んだ理由です。
【中川】坂本さんが事業会社に転職された理由と、なぜLITALICO(リタリコ)を選んだかをお伺いできればと思います。
【坂本】事業会社に移ろうという気持ちよりは、LITALICOのビジョン・事業内容に心から共感したんですよね。スタートアップありきではなく、「資本家・経営側の視点を持った仕事がしたい」とは思っていました。藪内さんも近いところがあると思うんですが、大企業は年収は高いけれど、人も多くて出来上がっていて、成長率も高くても10数%です。それに対して、中堅・中小企業やスタートアップは自分の働き1つでPLや成長率自体が変わるし、オーナーシップも違います。コミットメントを高くしてやりたいと、モルガン・スタンレー時代から思っていたので、PEファンドもLITALICOも、その中の選択肢の1つなんです。
私は大学時代からボランティア等を通して障害者の方々と関わっていましたが、自分の仕事にするイメージはありませんでした。LITALICOという企業を知って当時のCEOと会って、事業内容やビジョンに共鳴しましたし、「この領域でビジネスの力もフル活用してやっている人がいるんだ」と驚きました。自分で何かを作り出せるコミットメントが持てる環境だと思い、当時28歳くらいで自分が若かったこともあって、「ダメだったら職能を活かしたところに戻ればいい」という気持ちで転職しました。
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