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Space BD 注目企業インタビュー

注目企業インタビュー

Space BD株式会社

Space BDは、2017年9月に総合商社出身の永崎将利氏が創業した、日本の宇宙ビジネスを、世界を代表する産業に発展させることを目指す日本初の宇宙商社だ。創業翌年の2018年5月には、宇宙航空研究開発機構(JAXA)初の民間開放事業である『国際宇宙ステーション(ISS)「きぼう」日本実験棟からの超小型衛星放出事業者』に選定された。選定されたのは、同社と三井物産の2社のみだ。これを足掛かりに宇宙産業において存在感を高め、JAXAから次々と事業権を獲得し、それらをフックにサービスの多角化を推進している。宇宙商社という唯一無二の存在であるSpace BD。どのようなビジネスをしていて、どのような経営チームを持っているのか。ビジネスをリードする創業者とCOOの2名にインタビューを実施した。

創業者で代表取締役の永崎将利氏とCOOの金澤誠氏は共に三井物産の出身で先輩後輩の仲。三井物産退社後に永崎氏は独立、紆余曲折を経てSpace BDを創業した。金澤氏は海外MBA、PwCアドバイザリーを経てSpace BDに参画している。

永崎様にお伺いします。Space BD創業に至るまでのキャリアの変遷を教えてください。

【永崎】私は新卒で三井物産に入社しました。11年間在籍し、その間に人事部採用担当、鉄鋼貿易、鉄鉱石資源開発に従事しました。
鉄鋼貿易部門は、しばしば商社不要論で語られるトレーディングという伝統的な商社ビジネスの部門ですが、日々売買の最前線に立ち交渉する中で、自分なりの付加価値のつけ方を学び、ビジネスの機微を肌感覚で分かるようになりました。その後、異動した鉄鉱石資源開発部門は、逆に商社が注力している事業投資で、巨大な収益を上げている部門でした。事業規模が非常に大きいため、意思決定は役員クラスが行います。その意思決定の現場を見ながら「私も自身で意思決定をして、社会にインパクトを与えたい」と思うようになりました。同時に、私個人としての「言い訳のない人生を送りたい」という想いも大きくなっていたので、退職を決意しました。

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具体的にプランがあって退職した訳ではなかったので、退職後は何年にも亘って、もがくことになります。まず飛び込んだのがあるインドにおける教育プロジェクトで、手段としてはチャリティ(慈善事業)の世界でした。「多くの人が純粋に自分の夢やチャレンジを追いかけることができる社会にしたい」という想いがあり、その実現のための手段としてチャリティを選択しましたが、次第に立ち行かなくなってしまい、1年程で撤退することになります。この時に、価値ある活動をサステナブルにするために潤滑油としてのお金の重要性を痛感します。その頃には生活資金も底を尽きてしまったので、生きていくためにナガサキ・アンド・カンパニーを設立し、最初はコンサルティングや健康器具の販売代理など何でもやっていましたが、自分の思いの強い分野でという想いが強くなり、教育事業に参入しました。

社会で活躍できるのはたとえばコミュニケーションに長けた人であるなど、必ずしも学業成績で反映される訳ではなくスコア化できない領域だという問題意識から出発し、解決策として小中学生向けの起業家精神をテーマにした事業を立ち上げる中で、教育に力をいれているAOKIホールディングスの青木拡憲会長と出会いました。青木会長の教育財団が主催する、横浜市の中学生を対象にした起業家育成プロジェクトに対して、自分の理想を詰めこんだ企画書を提案したところ、とても気に入っていただけて、プロジェクトを一任していただきました。ここでようやく、ナガサキ・アンド・カンパニーは会社として安定した収益を得ることができるようになりました。

それから少し経った2016年末、青木会長から、「君が考えている日本社会の課題は間違っていないが、君が主張しても誰も聞いてくれない。君は"教育者"よりも"ビジネスマン"に向いている。日本を代表する経営者になって発言力を高めなさい。」という言葉をいただき、起業家としての成功を目指して一念発起します。そんな時に、ベンチャーキャピタリストの赤浦徹さん(インキュベイトファンド代表パートナー)と知り合い、「宇宙ビジネスをやってみないか」言っていただいたことがきっかけで、宇宙産業に関わることになりました。

特に「宇宙」のバックグラウンドがない永崎さんが、なぜ宇宙で勝負しようと決断できたのでしょうか?

【永崎】当時は今みたいに宇宙ビジネスが注目されていた訳ではなかったですし、最初は驚きました。しかし、考えてみると「日本を代表する経営者になるためにはこれくらいぶっ飛ばないとだめだな」と。三井物産退職以来、3年近くももがいていたので、マグマも溜まっていて爆発させたかったですし、ここまでぶっ飛んだテーマでないと当時の自分は納得しなかったんじゃないかと思います。

とは言え、スターウォーズすら見たことがないぐらい宇宙には縁が無かったので、宇宙産業に将来性があるか、ビジネスとして成立しえるか、どのようなビジネスモデルで参入すべきかなど半年かけてしっかり検証しました。コネクションを辿って日米の有識者のもとを尋ね歩き、色々な立場の方の話を聞く中で分かったことは、そもそも事業として開発されていないということ。アカデミック研究の延長のベンチャー企業は多くあるものの、利益を上げている事例は多くなく、かつそれをサポートできる組織もない。収益を確保できなければ、その産業はサステナブルではありません。これはチャンスだと思いました。私が三井物産やナガサキ・アンド・カンパニーでやってきた事業開発が求められていて、その経験やノウハウを活かすことができます。宇宙産業の将来展望については様々な意見がありましたが、人類は最後には"遠く"を目指すので将来的に成長すると直感的に思えたので、腹は決まりました。

赤浦さんに出資していただき、宇宙(Space)+ビジネスデベロップメント(BD)で、Space BDを設立しました。実は、当初社名を「宇宙商事株式会社」にしようとしていましたが、周りから全力で反対されました。今思えば、本当に止めてもらえてよかったです。(笑)

思いがけないところから、ご自身がエネルギーを向ける領域を見つけることができたのですね。

【永崎】よく、面接などで「やりたいことは何か?」と聞かれますが、私はこの質問は残酷だと思っています。やりたいことを明確に見つけられた方は本当に幸せで、多くの方は漠然と「何かを成し遂げたい」という想いはあっても、その想いをどこに向けたら良いのかが分からずに困っているんじゃないかと思います。ただ、具体的に何をしたいかを見つけられなくても、「どういう生き方をしたいか」は見つけられると思います。そこだけはしっかりと考えて、色々な人に会っていけば、時間はかかるかもしれませんがおのずと何か見えてくるのではないかと思います。

続いて、金澤様のキャリアの変遷、Space BD入社に至るまでを教えてください。

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【金澤】私のキャリアを語る上で、少し昔の話をさせてください。もともと、私は世界で活躍できるプロテニスプレイヤーを目指していました。中学3年の時に団体で全国優勝、オーストラリアで開催された国際大会に出場しましたが、ここで世界のレベルの高さに衝撃を受け、日本国内での優勝がいかに井の中の蛙だったかを実感しました。また、1年後に再会した海外のライバル達が自分が追いつけない程に成長したのを見て、プロテニスプレイヤーの夢を断念しました。コーチやトレーナーなど育成の側で世界を目指すことも考えましたが、経営者の祖父の背中を見ていたことなどもあり、全く異なるビジネスで世界を目指すようになりました。

その後、大学3年生の時にアメリカの大学に留学し、マンハッタンにある邦銀でインターンシップを経験しました。当時はリーマンショックの翌年で、多くの店舗が閉店し街に失業者があふれる一方で、その原因になった金融マン達は闊歩しているという異様な光景を目にしました。当時の私はアメリカに強い憧れを抱いていましたが、その時にアメリカが全てにおいて優れているわけではないと感じ、日本の魅力を世界に発信できるビジネスを創りたいと思うようになりました。そして、帰国後にOB訪問で当時三井物産で働いていた永崎と出会います。自分が求めていた日本の良さを世界に発信できるビジネスでしたし、何より他の誰よりも真剣に話を聞いてくれる永崎に憧れて三井物産への入社を決めました。

入社後は、金属資源本部でリサイクルビジネスを担当し、自治体と組んで廃棄された携帯電話を回収してその部品からレアメタルを集めたり、インドで家電リサイクルプラントを立ち上げるプロジェクトの実地調査をしたりなど、プロジェクトマネジメントとして面白い経験を積むことができました。しかし入社3年目の時に、このままここにいて、高い志を維持しながら日本が世界に誇れる産業を創れるのかと疑問に思うようになり、かつてテニスプレイヤーの道を断念してまで世界を目指した当時の自分に嘘がつけずに退職を決意しました。

その後、自分に自信をつけるために、かつてテニスの世界大会でも思い入れがあったオーストラリアにMBA留学しました。帰国後は、ここで勝負できるという自信がある分野はまだありませんでしたが、私費留学で尽きてしまった金銭面を立て直す必要があり、白状すると知的好奇心や自身のプライドを満たしつつ経済を立て直すための道としてコンサルティングファームへの転職の道を選び、PwCに入社しました。PwCでは、M&Aアドバイザリー業務に従事し、カーブアウトなど難易度の高い案件に参画し、緊張感がありつつも充実した日々を過ごしました。非常に良い経験を積むことができて、経済面や精神面も立て直せたものの、やはり何かの事業で勝負したいという想いがあったので、退職を決意しました。退職後は、しばらくの間複数のベンチャーを手伝いながら過ごしていました。

色々な壁にぶつかり、人間関係に悩み、「これ」という道を決めきれずにいた期間でしたが、その間も、永崎とは定期的に会っていて、いつもお酒を飲みながら「お前はそんなんじゃないだろう」とハッパをかけてもらっていました。気付けば20代も終盤に差し掛かったある時、永崎から、宇宙ビジネスを始めるという話を聞きました。あまりに突拍子もなかったので驚いた一方、尊敬する永崎と一緒に宇宙という新しい領域にチャレンジしてみたいと直感的に思いました。当時ビジネスサイドでは採用をしていませんでしたが、永崎に無理を言って入社させてもらいました。

お二人とも、失敗経験を含めて非常にざっくばらんにお話ししてくださる人間味のあふれる方だ。宇宙事業はもともとやりたいと思っていたわけではなく、他人から与えられたテーマだったのだが、お二人の持っていた「どうありたいか」に合致した、という経緯なのが印象的である。

ここからはビジネスについてお伺いしたいと思います。ビジネスの概要を教えてください。

【金澤】弊社は「宇宙の総合商社」として、宇宙における事業開発を行っています。JAXAから受託した事業権を活用する案件について、関係各所との予算調整や安全審査の手続きなど煩雑なプロセスを引き受けることで、潤滑油としての働きを担います。

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ビジネスの起点となったのは、2018年にJAXAの民間事業である『国際宇宙ステーション日本実験棟「きぼう」からの衛星放出事業』の事業権を獲得したことです。平たく言えば、衛星を宇宙ステーション(ISS)に持っていき宇宙空間に放出する権利で、この事業権を得たのは弊社と三井物産の2社のみです。それまでは、「宇宙商社」をただ標榜しているだけの会社でしたが、この事業権を獲得したことで、宇宙産業における存在感を高め、様々な企業・団体からの依頼を受けてビジネスを拡大することができました。その後も、2019年3月に「きぼう」にある実験設備の利用事業者に選定されるなど、今日までにJAXAが「きぼう」利用関連で民間パートナーを選定している4つの事業全てで事業権を得ている唯一の企業になりました。

それら4事業を抑えているからこそ得られた情報やネットワークを起点に、直近1年程で宇宙産業の中で多角化を推進しています。一つは、国際宇宙ステーションでのライフサイエンス実験の支援。宇宙の微小重力環境下では、高品質なタンパク質の結晶生成が可能で、高品質な結晶を用いることでタンパク質の立体構造をより詳細に解明できます。病気の原因となる、ヒトの体の中にあるタンパク質とそのタンパク質に作用する新薬候補が、どのように作用しているのかといった創薬において有効な実験ができます。その他にも、JAXAと共に様々なフィジビリティスタディを実施していたり、衛星から送られてくる地球観測データを活用した地上でのビジネスを開発したり、国内の宇宙ベンチャーからの依頼を受けて優良な衛星部品を海外から調達していたりと、「宇宙の総合商社」として多様なニーズに応じて柔軟に対応しています。

最近ではナガサキ・アンド・カンパニーの系譜を引き継いだ教育事業もどんどん立ち上がっていて、クラーク記念国際高等学校で「宇宙教育プロジェクト」という衛星開発を通じて未来のリーダー人材育成を目指す取り組みを始めました。衛星メーカーや、航空宇宙工学の権威である東京大学の中須賀教授、宇宙飛行士の山崎直子さんにも協力いただき、「宇宙」をフックに、課題解決やプロジェクトマネジメントを学んでいただける面白い教育プログラムになっています。

同社のビジネスの強みとして、同社が資産を持つわけではなく仲介役という立場なので、原則一件一件のプロジェクトで粗利が出せる、という事が挙げられる。これはキャッシュを回す上で重要なポイントだ。

潤滑油と表現されていますが、実際に仕事はどのように進めるのでしょうか。

【永崎】私たちのクライアントは企業、学校法人、新興国政府など様々ですが、多くの場合は宇宙のプロフェッショナルではありません。彼らのざっくりとしたオーダーを分解し、どのような形で具現化できるかを調整し、合意形成を得て、プロジェクトの全体設計をします。その実現のために、まず衛星を製造するパートナー企業と連携して、クライアントの要望を叶える衛星を納期までに収めていただけるように調整します。そして打ち上げに関わる機関、日本ではJAXA、海外の場合には事業権を保有する現地企業とも調整を進めます。特に衛星が宇宙ステーションで事故を起こすと大惨事となるため、衛星の安全審査はかなり厳格で、その安全審査を通過するために社内のエンジニアと連携しながら手続きを進めていきます。今ざっくりお話しただけでも、非常に多くの関係者が登場します。彼らの期待値を調整し、予算などのセンシティブな交渉も行いながら、プロジェクトを実現させていきます。弊社で求められるのは、非常に高度なプロジェクトマネジメントなのです。

クライアントは国内の企業・団体が中心になるのでしょうか。

【金澤】実は海外からの受注は多く、受注件数は国内外で100件を超え、全体の2割が海外案件です。私もコロナ禍以前は、年の1/3以上は海外を飛び回っていました。ミャンマー初の超小型衛星開発の打ち上げ案件、スペイン企業の小型衛星向け光学機器の宇宙空間での撮像実験案件など、本当に様々な案件があります。

宇宙に国境はなく、宇宙を利用したいのは海外も同じである。海外も含めて宇宙を利用したい企業・団体のプラットフォームになれるのが同社の強みである。

競合はありますか?

【金澤】衛星放出サービスのみを行っている企業や、ヘルスケアの実験支援だけを行っている企業など一部の領域では競合がいます。ただし、宇宙に関するあらゆる事業開発を横断的にやっている企業は他にはないので、そういう意味では競合はいません。

宇宙ビジネスは、今後成長性がありますか?

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【金澤】衛星の需要は確実に高まっています。かつての衛星は何トンという規模だったので国や政府機関でしか扱えませんでした。しかし、技術革新により百キロ単位、更には数キロ単位にまで小型化したことで、大学や小資本のベンチャー企業でも作れるようになりましたし、個々のニーズに合わせてカスタマイズしやすくなりました。そうであれば活用してみたいという企業・団体は多く、農業、漁業、資源開発など多くの産業で活路が見いだされつつあります。例えば農業を見ても、広大な敷地に放牧された牛にチップを取り付けておき、衛星から見た牛の動向で餌の散布分布を決めたりと、様々な使い方が検討されています。また、アメリカや日本では、これまで政府主導で進めてきた宇宙開発を民間主導に変えていこうとする国策的な動きも活発です。

これまでお二人のキャリアとビジネスについて伺いましたが、過去のキャリアで今のビジネスに生きている部分はありますか?

【永崎】鉄鋼貿易で売買の現場を経験できたのは大きかったと思います。当時(2000年代)は中国の台頭によって資源価格が高騰し、相対的に利益が小さなトレーディング部隊を子会社に切り出し本社は事業投資に集中するという転換期でした。私の部署でも、いつ切り出されてもおかしくないという緊張感はありましたが、私個人としては売買の意義は大きいと思っていました。というのも、会社は「売上」を立てなければいけません。たとえ大型投資をしても、最終的に誰かが売ってくれなければ成功することはできません。モノを売る現場に立ち、交渉し、その機微を肌感覚で分かるようになったのは今のビジネスでも大いに役立っています。

【金澤】三井物産でプロジェクトマネジメントの経験や、PwCでM&Aのディールを成功に導くための難しい交渉を日々緊張感のある環境の中で行っていたので、様々なコンフリクトを乗り越えるためのビジネスコミュニケーションスキルを身に着けました。これは難しい交渉が求められる現在のビジネスで生かせています。また、Space BDに入るまでの社会人生活を総括して話すと、上手くいかなかったことも含めて本当に色々な経験をしたので、何があってもへこたれない精神力が身につきましたし、複数社を経験して会社によって全く価値観が異なることを認識したので、今置かれた環境下で求められる動きを見極めてすぐに動きを切り替えられるという柔軟性も身につけられたと思います。

お二人とも、プロジェクトマネジメントや交渉の現場を挙げられています。これまでそうした経験がない人の場合は御社で働くのは難しいのでしょうか?

【永崎】もし経験がなかったとしても、商売の現場の泥臭さに興味があり、ポテンシャルとして面白い人であればもちろん採用します。弊社で求められるプロジェクトマネジメントは非常に高度なので、入社してしばらくは大変かもしれませんが、ポテンシャルを重視しています。

最後に、御社で働く魅力について教えてください。

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【金澤】一人ひとりにお任せする範囲が大きいので、自走できる方であれば非常に良い経験ができます。また、弊社は多角化を進めている「第二創業期」であり、今後の礎ともなる新事業の創出に関われる可能性もあります。宇宙は、今後非常にアップサイドのある産業です。『人間が地球環境を破壊せずに拡張していける産業は、宇宙かバーチャルしかない』と言う言葉があり、バーチャルはすでにアメリカに大きく水をあけられていますが、宇宙はまだまだこれからの産業なので、日本が世界に冠たる基幹産業になる可能性を秘めています。そんな新しい産業の発展に貢献できることは大きな魅力だと思います。

同社の社員数はまだ35名程度である。その人数でこれだけの多様な事業を手掛けているという事は、一人ひとりに任される範囲や裁量が非常に大きいということだ。また、宇宙産業は日本では希少な成長産業であり、チャンスがまだまだ眠っている。

なお、同社に入社する上で、創業のお二人がそうであったように、はじめから宇宙に興味がある事が必須ではない。「日本の発展に貢献したい」「世界における日本のプレゼンスを上げたい」「大きなフィールドでチャレンジしたい」といった漠然とした考えからのスタートでも歓迎だ。
是非同社で、他社では経験できない事業開発の経験を積んでみてはいかがだろうか。

プロフィール

写真:永崎 将利 氏

永崎 将利 氏
代表取締役社長 共同創業者

1980年生、福岡県北九州市出身。早稲田大学教育学部卒業後、三井物産株式会社で人事部(採用・研修)、鉄鋼貿易、鉄鉱石資源開発に従事、2013年に独立。1年間の無職期間を経て2014年ナガサキ・アンド・カンパニー株式会社設立、主に教育事業を手掛けたのち、2017年9月Space BD株式会社設立。日本初の「宇宙商社®」として、設立9か月でJAXA初の国際宇宙ステーション民間開放案件「超小型衛星放出事業」の事業者に選定されるなど、宇宙商業利用のリーディングカンパニーとして宇宙の基幹産業化に挑んでいる。著書「小さな宇宙ベンチャーが起こしたキセキ」(アスコム)。

写真:金澤 誠 氏

金澤 誠 氏
取締役 COO 兼 ローンチサービス事業本部長

2011年三井物産株式会社入社。金属資源本部にて、アジア太平洋地域における資源リサイクル事業・再生可能エネルギー事業の新規事業開発及び投資管理業務に従事。PwCアドバイザリー合同会社等を経て、2017年よりSpace BD株式会社に参画。
現在では主に衛星打上げサービスとその周辺分野での事業開発、海外市場開拓を推進。
早稲田大学政治経済学部卒業、シドニー工科大学MBA。

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