[1]自己紹介をお願いします
1990年代の中盤頃までの日本の金融機関は、複雑な計算ロジックを必要とするデリバティブ取引等のプライシング局面で、外銀に遅れを取っていました。その状況を打破するべく、メガバンクなどが積極的に金融工学系の人材を採用し始めた時期と、私の大学院修了時期とが重なったこともあり、私は第一勧業銀行(現みずほ銀行)に入行しました。
任されたミッションはクオンツ的な役割。当然、一般的な行員とは異なる環境下で働くことになったのですが、長年学んできた知識やスキルを活かし、さらに成長できることに満足しながら、約4年ほど務めました。
スタンフォードで学ぼうと考えたきっかけはいくつかありますが、1つは学術的な興味。解析解のないものを計算していく、という領域で腕を磨くには、劇的に進化していたコンピュータ・サイエンスを学ぶのが有効だと思えた点です。
もう1つのきっかけは職場環境によるものでした。最後に所属していたのはニューヨーク支店だったのですが、ここにそうそうたるバックボーンの持ち主が集合していたんです。
シカゴ大学で経済学のPh.D.を取得した代表をはじめ、オックスフォードで物理学のPh.D.を得た人、23歳の時点でプリンストン大学のPh.D.を得た人などなど。「今世界のビジネスの最先端を動かしているのは、こういう人たちなんだ」という気づきが大いに刺激になったわけです。
結局、スタンフォードから奨学金をもらえることになったこともあって、私は銀行を辞めた上で2年間学びました。こうなれば、特に金融業界に執着する理由もなくなります。
当時最先端のコンピュータ・サイエンスを学ぶうち、私はドリームワークスのような会社でグラフィックス関連の仕事に就きたい、という気持ちを膨らませていったのですが、狭き門を突破できず、将来について考え直す必要に駆られました。
再び投資銀行などへ進む道も模索し始めていた時、出会ったのがボストン コンサルティング グループ(以下、BCG)だったんです。それまでコンサルティングという領域をあまりよく知らずにいたのですが、金融だけに限らず広い間口でビジネスと向き合える点や、より新しい事にチャレンジできそうな予感もあり、入社を決意しました。
けれども、もっと本音を言いますと、当時シリコンバレーでの採用活動を率いていたパートナーが現マース ジャパン リミテッドの社長である森澤篤さん(当サイト内でインタビュー掲載中)。その森澤さんに会いに行ったBCGのリクルーティング解法が街一番のゴージャスなホテルだったことや、そこに飲み物や食べ物がずらっと並べられ、「好きなだけ食べていきなさい」と言われたことに感激し、「これはいい会社だぞ」と思ったのも事実です(笑)。
ともあれ、こうして日本のBCGの一員としてコンサルタントの活動をし始めた私でしたが、最初の2年はパフォーマンスを上げられない新人でした。3年の間に満足にパフォームできなければ出ていくしかない実力主義の環境ですから、ギリギリの状態まで追い詰められていたんです。
ところが入社後2年を経過したある日、クライアントとの会議で提案をしていると、その企業の社長から「いいね」と言われ、この時を境に外でポジティブに評価される現象が連続したんです。そしてようやく結果を出せるようになれました。
最初のうちは無我夢中でしたが、ある程度落ち着いた時、いったい何が起きたのだろうと分析をしてみました。確かなのは、人の成長は不連続なものなのだということ。こつこつ努力をしても、それがすべてすぐに結果につながるわけではない。
「どんなに努力をしてもうまくいかない」と悩んでいた状況だったのに、ある日を境に急に実を結んだのですから、おそらくそれまでに積んできた研鑽がようやく他者からほめられるようなレベルにまで到達したのだろうと思いました。
では具体的に、自分は何ができるようになったのか考えてみた結果、それは「客の論点を見抜いて言い当てる能力やセンスだ」という結論に達しました。
コンサルタントとクライアントの経営陣が向き合った時、どんな議論をするのかといえば、「ここに青い丸と黄色い四角がある。さあ、どれを選択して、どう打って出る?」というようなもの。話し合うべき論点は「青なのか黄色なのか」かもしれないし、「丸なのか四角なのか」かもしれない。
もしもクライアントが解決したいと思っているポイントが色なのに、コンサルタントが形について提案していったら、「わかってないな」としか思われない。お客様に真に貢献できるコンサルタントというのは、この部分で的確に論点を捉えることができるから評価されるのです。
2年間もがいた結果、私もようやく論点を見通せるようになり、パフォーマンスを上げていくことができるようになったわけです。
こうしてコンサルタントとして成長していけるようになってから数年後、新たな転機が来ました。アリックスパートナーズへの転職です。BCG入社時からお世話になってきた森澤さんがアリックスパートナーズへ行くことになったのも理由の1つでしたし、私自身が自分の職務についての考え方で変化してきたことも要因となりました。
クライアントの論点を見極めて提案していくだけでなく、より現実の事業にハンズオンで関わっていきたい、という希望が膨らんでいたため、クライアントに入り込んで、経営再生を根本から担う立場になろうと決意したのです。そうしていくつかの企業でターンアラウンドを実行した後、出会ったのが今の一休。これがさらなる転機につながっていきました。
一般的な一休のイメージは、「創業以来、常に高水準の成長を実現してきた会社」なのかもしれませんが、2010年代に入る少し前くらいから、コア事業である宿泊施設の予約事業の伸びが停滞。この状況を打破するべく、アリックスパートナーズに声がかかり、私が担当者となったわけです。
クライアント企業の経営陣によって、迎え入れ方は様々です。アリックスパートナーズの人間が問題解決のために大なたを振るおうとしても、諸事情もあって制約を受けてしまうケースだって少なくありません。ところが、一休を創業して成長させてきた当時の森正文社長は、コアビジネスのターンアラウンドという難題を前にしながら、私に全権を任せてくれたのです。
「この人はすごい」と思いました。おかげで私はすぐに社内のラインに入って、事業の取り組み方はもちろん、サイトのあり方や組織構築に至るまで、大幅な変更を加えていくことができました。もちろん当初は社員の皆も戸惑いを示したりしましたが、変化が数字になって表れ始めると全員のモチベーションが一気に上がり、業績も目に見えて上昇カーブを高めていったんです。
経営再生にあたっては人員の大幅な入れ替えを伴うケースもあるのですが、私としては十分に力のある社員が揃っていたので、「人だけは現状維持」のまま売上を伸ばすことに成功できました。当然、コストをかけずに結果が伸びたのですから、それがそのまま利益になります。
BCG時代も含め、約10年間コンサルタントをしてきた私も、身につけたすべての知見を投入し、満足できる成果を得ることができたことになります。そうなれば「もっと」と誰しも思うはず。「この素晴らしい創業経営者や社員とともに、実際のビジネスを自分も動かしていきたい」と強く望み、社員として入社することにしました。
正式入社後も私のメインのミッションは宿泊事業を成長させることでしたが、しばらくの後、レストラン事業のマーケティングにも関わるようになり、COOに就任しました。そして2015年、ヤフーが一休の完全子会社化に乗り出すと、社長の森さんは「TOBが成立したタイミングで私は引く」と言い切り、成立後の諸々については私に一任すると言ってくださいました。
とはいえ、ヤフーが親会社になるわけですから、実際に経営を任されるのが自分になるのかどうかはわかっていません。ところがヤフーの宮坂学CEOからは「一休という会社はとてもうまくいっています。ですからその良さをこれからも伸ばしていってください」という言葉をいただき、私が社長に就任することとなりました。
経営環境は変わったものの、森さん、宮坂さんからもらった言葉を大切に思い、この会社をさらに成長させていきたい、と奮起しているところです。