画像:ベイン・アンド・カンパニー

ベイン・アンド・カンパニー

「結果を出す」。この一点にコミットしたコンサルティング集団を形成すべく1973年に生まれたのがベイン・アンド・カンパニー(以下、ベイン)だ。
強い志を実現するには、コンサルティングのアプローチにおいても自社の組織のあり方についても、革新的取り組みが必要だった。そうして定着していったのが数々のコアバリューとDNA。「Global One Team」「Work Hard, Play Hard」「Bias to Action」などのキーワードがそれらを物語っている。
激化するグローバル市場での競争、世界的な金融不安や欧州危機、日本においては震災の影響や円高の影響……超えなければいけないハードルがいくつも並ぶ今、「結果を出すベイン」の大胆な変革手腕とグローバルの連携力に多くの企業が期待を高めているという。
では、具体的にどんな取り組みを行っているのか。そこで活躍する人材とはどのようなものなのか。パートナーの奥野慎太郎氏がストレートに答えてくれた。

プロフェッショナルとしてきちんと育成してくれる環境と
心から尊敬できる人物の存在にこだわり、ベインを選んだ

「実を言うと、3年間社会人を経験したら、大学に戻って院に進み、研究をするつもりだったんですよ」

奥野氏に自身のキャリアヒストリーを尋ねると、新卒当時のことを笑いながらこう教えてくれた。独特のプランを前提にしたことで、奥野氏の就職活動は「3年という期間で、できるだけ多くの体験ができる企業に」という方針で進む。入社することになったJR東海での面接では、正直にこの気持ちを伝えたのだという。

「『3年経ったら大学に戻ります』とストレートに伝えたところ、『それでもいい』と言っていただき(笑)、ありがたく入社しました」

文字通り幅広い経験が得られた。駅、車掌、運転士など、現場の最前線も経験。新規事業立案・実行のプロジェクトにも参画し、案件のメンバーとして複数のコンサルタントとも出会ったという。

「非常に充実した思いですごすうち、3年があっという間に過ぎました。その頃には大学に戻る気持ちはなくなっており、よりビジネスで力をつけたいと思い、コンサルティングファームへの転職を目指したんです」

photo01.jpg「大きなキャリアチェンジをする以上、やはり『入るならば、きっちりプロフェッショナルとして育ててくれる環境』がよかった。そしてもう1つ、『心から尊敬できる人がいるファームに行きたい』という意志も強く持っていました」

そのため、面接をするたび、そこで出会った面接官を自分なりの尺度で観察し、エクセルに記録までしていったという念の入れよう。そうして「ここだ」とはっきり確信を持てたのがベインというわけだ。

たしかにベインは育成の面で、数あるプロフェッショナル・トップファームの中でも、明確に高い支持を受ける存在である。だが同時に、「結果」に強くコミットする厳格さでも知られている。

「むしろそこが私には嬉しく思えました。実際、ベインの一員になって体感したのですが、ここには確立された人材育成プログラムが多様に揃っているだけでなく、グローバルのメンバーがボーダーを超えて支え合いながら互いを高めていくカルチャーが根付いています。もちろん結果は問われます。他のファームの実情は存じませんが、ベインがその部分で自らに対して厳しい姿勢を貫いてきたのは間違いない。しかしそもそも、コンサルティングという仕事をしていくうえで、結果に責任を持つのは当然のことです。そして、この厳しさが背景にあるからこそ、私たちは互いに支え合う習慣を当たり前のように続けているのだともいえるんです」

奥野氏によれば、この環境ゆえにワークハード・プレイハードという企業カルチャーも浸透しているとのこと。そうしたカルチャーの中で育ってきたパートナーらと面接で出会った奥野氏は、そのプロフェッショナルとしての魅力を感じ取り参画を決意したのだ。

実はもう1つ、「いずれグローバルな仕事も任されるようになりたい」との志が転職活動中にはあった。だが、海外生活の経験もなく、ドメスティックな企業に3年間いた奥野氏に、いきなりそれを実現できる自信はない。心中には「少し先に実現できれば」というような思いもあったという。だが、ベインで最初に任された案件が、自動車メーカーのプロジェクト。外国人のクライアントと向き合うグローバル案件だった。

「まあ、正直なところ、暗中模索の日々が続きました(笑)。上司は何でもできてしまう人で、しかも歯に衣着せず、何が駄目なのかをズバズバ指摘してくる。戸惑っていた時期もありました。けれども、むしろはっきりとものを言う上司だったことで、私は成長できたのだと思います」

やれることはとことんやる。できていない、と指摘されたことは愚直にできるよう努力する。その繰り返しで暗中模索の状況をブレークスルーしていった。気がつけばそれなりの自信もついていた。クライアントからも名指しで次のプロジェクトへの要請が来た。成長意欲という"欲"がふつふつとわいてくる。

「その後は、製薬会社や部品メーカーなどのグローバル案件や、建設会社の再建などを担当していきました。その間に、例えば『生産や物流については経験を得たので、今度は営業に関わる案件に参画したい』という要望を出すと、それがプロジェクトのスコープの範囲で受け入れられ、短期間で幅広い経験と学習をすることができたんです」

それでは、パートナーとなった今、ベインの真のアイデンティティ、アドバンテージはどこにあると奥野氏は考えているのだろうか? また、クライアントからの期待、要望について、近年トレンドといえるようなものがあるのかどうか。そこに「ベインだからこそ」という要素があるのか。質問の方向を変えてみた。

「抜き差しならない状況」を迎えた日本。
しかし、だからこそ多くの企業がベインの価値に気づき、期待を寄せてくれている

photo02.jpg「ベインで過ごす日々の中で、すでに理解できていた部分でもあるのですが、2011年3月に起きた震災以降、私はさらにベインの特徴が際だってきていると感じています」

日本を一気に窮地に追い込んだ震災。地域限定の問題ではなく、国としての復興を目指していく中で、あらゆる企業と組織が自らのあるべき姿を再認識させられた。ベインの東京オフィス、そして東京オフィスをバックアップするグローバルネットワークも例外ではない。加えて、震災そのものの影響と円の為替問題などが複合したことで、クライアントである日本企業のほとんどが「抜き差しならない状況になった」と奥野氏は語る。だが、このことが契機となって、ベインの「らしさ」は、今まで以上に顕在化し始めているというのである。

「非常にありがたいことなのですが、抜き差しならない状況を迎えたことによって、これまでベインに相談を持ちかけてくださらなかった企業から、声をかけていただく現象が今もなお続いているんです」

たとえばこういうことが起きているという......。

かつて、クライアントの経営変革を実現するため「ここまでドラスティックな対応を今すぐにでもすべき」とベインは提案をした。だが先方からは「いや、そこまで大きな変革を我々は望んでいない」との返答。残念ながら他ファームとの取り組みを決定されてしまった。ところが、震災を機に潮目が変わった。危機意識、問題意識を高めたその企業のトップから「あなたがたがやろうと言っていた変革を、我々も本気で取り組みたいと思う」との申し出が来ているのだ。それも1社や2社の例ではないと奥野氏はいうのである。

「あえて申し上げるまでもなく、ベインにははっきりとした特徴があります。1つは結果にとことんこだわる集団だということ。もう1つは実践的な提案を行う集団だということ。そして3つめは、以上2つの特徴から、当然のごとく『時にはお客様の耳が痛くなるような直言もします』という集団だということです。抜き差しならない状況を皆が迎え、皆が本気で立ち上がろうという気運になったことで、私たちの個性、特徴、強みを心から望んでくださる企業が増えている、ということだと理解しています」

もちろん「抜き差しならない実情」あっての期待である。信条とする「結果」を今まで以上に熱望されている。ベインとしてみれば、今こそが力の見せどころ。そんな緊張感に包まれているのだ。

プロフィール

奥野 慎太郎 氏
パートナー

京都大学卒業、MITスローン経営大学院にてMBA取得。新卒入社であったJR東海で事業会社の一員を3年間経験した後、2003年1月にベイン参画。電子部品・テクノロジー、製薬、自動車、生産財、建設サービスなど、幅広い産業と向き合いながら、企業統合、ターンアラウンドや、プライベートエクイティ投資先企業における戦略策定などを中心に活躍。ベインの戦略プラクティスおよびM&Aプラクティスのメンバーでもある。

無料登録・転職相談

メールマガジン登録