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画像:高松 章 氏

CxOインタビュー

高松 章 氏

設立から60余年、ヘルスケア領域において独自のポジションを確立しながら、グローバル市場において急成長を果たしてきたアラガン。2010年にはアラガン・ジャパンを設立し、 日本でも短期間の内に大きな成果を上げていくこととなったが、その成長途上の2012年にCHROとして招聘されたのが高松章氏だ。
2015年の冬にはファイザーとの合併も発表され、世界最大手ヘルスケアグループの一員となるアラガンだが 高松氏は、どのような思想と姿勢でCHROの責務に就いているのか?
15の質問を通じて答えてもらった。

高松 章 氏
アラガン・ジャパン株式会社
執行役員 人事総務本部長(CHRO)
http://www.allergan.jp/

1966年、東京都生まれ。慶應義塾大学法学部卒業後、1991年に東芝入社。6年間に渡り人事部門を担った後、シティバンク、メリルリンチのジャパンオフィスにて主に採用業務を担当。2001年、ファイザーへ入社するとHR部門ディレクターとして活躍。2008年からはジョンソン・エンド・ジョンソングループの一員であるヤンセン ファーマに入社し、採用の責任者として成果を上げた。そして2012年、日本法人設立から間もない当時のアラガンに招かれ、現在に至っている。

[1]自己紹介をお願いします

私は大学在学中に交換留学で米国にいたこともあり、就職活動の際には世界を相手にした仕事に就きたいと考えていました。当時はバブル期で、日本企業が海外での実績を重ねており、中でも東芝は半導体領域で大きな成果を獲得していたんです。私はそこに魅力を感じて入社を決めたわけですが、新人の配属を会社側が決定していた時代です。ふたを開けてみれば人事部門の一員となっていました。

それでもとにかく1997年までの6年間、ここで人事マンとしての研鑽を積んでいきました。ただし、バブルがはじけた後はグローバルな事業も縮小傾向となっていましたし、「いつかは世界で」という気持ちが私の中に強く残っていたこともあり、どこかで転機をうかがっていたところはありました。

そんな矢先、舞い込んできたのが知人からの情報。聞けば「シティグループから採用オファーを受けたものの断ろうと思っている。代わりにチャレンジしてみたらどうだ」とのこと。当時、シティは日本に進出して新卒やMBAホルダーの採用を急速に進めようとしており、人事のノウハウを持つ人材を熱望していたのです。たまたま様々な好条件が整ったこともあり、いよいよ私はグローバルな組織で働くこととなりました。

シティの職場は快適でした。「年功序列の時代は終わった」とメディアでは言われていたものの、当時の日本企業にはその名残が根強く存在していました。その点、グローバル企業は純然たる実力主義であり、HR担当者としても気持ち良く働くことができたわけです。ところが、結局私は1年後に再び転職をすることになります。

短期間で優秀な人材を大量に採用する、というミッションを遂行するべく、日々ヘッドハンターの人たちと顔を合わせていたのですが、そんな中、私自身に向けて語りかけてくるヘッドハンターもいました。

「30歳を過ぎたのに、まだマネージメントをしたことがないの? それでいいの?」というような質問を何人ものヘッドハンターがしてきます。日本の大企業にいれば、30歳そこそこの年代はまだ若手扱いですが、国際的な組織の常識では「そろそろマネージャーとして活躍すべき時期」だということを知ったのです。

そんな意識を持ち始めた最中、メリルリンチが旧山一證券のメンバーをはじめとする人材を緊急で大量採用しようとしており、採用担当マネージャーを募集している話をあるヘッドハンターからもらいました。私はこのお話を受ける形で、転職を決めました。

メリルリンチではシティの頃以上に忙しく採用の仕事を進めていったのですが、3年後に突如「日本撤退」が決まりました。世界に名だたる金融機関2社でHRの仕事に就けたことには大きな意義がありましたが、私としては今後、かくも変化の激しい金融業界ではないステージでじっくり仕事をしてみたいと思うようになったのです。

運良くこの時、ファイザーが買収したカプセル剤を扱うカプスゲルという関係会社で、人事の役割も担える総務部長人材を探していました。マネージメント経験を欲していた私としても絶好のチャンスと思えました。こうして、ヘルスケア業界で仕事をするチャンスを私は得ることが出来たのです。

この別法人のために編成された社員は総勢250名ほど。その組織において、人事以外の業務を実行していったおかげで、私は自身の知識やスキルの幅を広げることもできました。

また、例えば重要な行事に社長がやむを得ない事情で参加できないケースでは、私が社長に代わり、会社のトップとして言動していくことも増えました。つまり、経営層としての発想や振る舞いを経験していく機会にもなったのです。

一方、大規模なグローバル企業の多くがそうであるように、ファイザーグループもインテグレーションにおける意思決定は、親会社であるファイザーが行っていました。私としてみれば、むしろ明快でいいじゃないか、という意識でいたのですが、役員会議などに招集された場合には、私なりの意見を忌憚なく口にしていきました。それが自分の役割だと考えての行動でしたが、これが高評価につながり、ファイザー本体に仕事の場を移すことになりました。

その後は3年に渡って約5000人規模の社員を相手に研修を行ったり、タレントマネジメントのプランニングに携わり、さらなる成長を得ることができました。

しかし、製薬業界では特許の期限切れなどがきっかけとなって、大規模なリストラが行われることがあります。ファイザーでもこれが実行され、やがてその内容が社会問題化するに至り、大揺れとなったのです。リストラの実行チームであったHR関係者は、責任を取るかっこうでチームごと退職することとなり、私もこの1人としてファイザーを辞めることになりました。

そんな私をHR担当ディレクターとして招いてくれたのがヤンセン ファーマでした。私はここで約4年間、有意義な時間をすごしました。ファイザーとよく似た形でパテントの期限切れがあり、リストラ実行の案が出た際には、かつての経験を説明し、違った対応策を提案するなど、これまでの経験を活かすこともできました。

当初の私には「金融機関以外のどこかで」という意識しかなく、特にヘルスケアにこだわっていたわけではなかったのですが、チャンスに恵まれ、得難い経験を積んでいくにつれ、この業種の魅力に気づいていきました。

なにより、人々の健康に直接お役に立てる仕事だというところに、誇りを持つことができます。他の製造業が新製品を開発するプロセスとは時間軸が大きく異なり、新薬開発には何年にもおよぶ期間が必要になります。そういう特殊な環境下で人を採用し、育て、組織をマネージメントしていく役割に、いつしか私は強くこだわるようになっていました。

ヤンセン ファーマではその後、ジョンソン・エンド・ジョンソングループ全体のHRを統合していくようなプロジェクト計画が立案されたのですが、これが諸事情により延期となったタイミングで、アラガン・ジャパンからお誘いを受け、今に至っています。

ファイザーやヤンセン ファーマに比べれば規模は小さいものの、独自の強みを備えたこのヘルスケア企業で、本格的にCHROとしての役割を担わせてもらっているところです。

[2]現在の社内での役割について教えてください

かつて在籍してきた企業と同様、アラガンはグローバル企業です。ただしジャパンオフィスは設立から間もないこともあり、人員規模的には現状100人ほどです。しかし、むしろ私は様々なHR施策をハンズオンで進めていける環境だと捉え、喜んでいるんです。

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巨大な組織でしかできないこともありますが、この規模の組織だからこそできることというのもある。評価制度の刷新にしても、単に制度設計を行うだけでは終わりません。新しい制度が個々の仕事内容や資質とどう当てはまるのかを、運用も行う中でつぶさに確認していくことができます。

ルールを作り、管理して。コントロールするだけの機能に追われることなく、1つひとつの戦略や施策の成果や問題点を身近に感じ、改善に役立てていくこともできています。ですから、こうした実のあるHRを今後も維持向上していくのが私の役割。

世間的にはファイザーとの合併で騒がれていましたが、もともと在籍していたこともあるファイザーですし、今後、アラガン・ジャパンの方向性に大きな違いは出てこないものと考えています。私としては外部環境の変化は意識しつつも、この会社の良さを際立たせていくHRのサイクルをきちんとまわしていこうと考えています。

[3]小中学生時代はどんなお子さんだったのでしょう?

小学校では普通の子どもでした。野球が好きな、どこにでもいる男の子だったかと思います。ただ、勉強も野球も自信を持っていたのは事実。しかし、その自信は中学で打ち砕かれました(苦笑)。

中学受験をして、慶応の中等部に入学したのですが、そこには自分より成績のいい者、自分より野球がうまく、運動の得意な者ばかりが集まっていたんです。そんなわけで、中学時代は非常に暗い日々を送っていました。

[4]高校、大学時代はどのような学生でしたか?

高校もそのまま慶應に進みましたから、中学時代から引きずるネガティブムードもあったのですが、ある日、私同様の弱虫グループの一員が(笑)、「空手部に入りたいから、部室まで付き合ってくれないか」と言うんです。結局、私も付き添いだけで終わらず、入部することにしました。

当時は身体が小さいことを気にしていたのですが、他の競技と違い、空手ならば何か得意技を1つ習得したら、結構やれるんじゃないかと思えたんですね。結果として、練習は非常にきつかったものの、思っていたとおり、それなりに腕も磨けましたし、喜びを感じることができました。(余談:インターハイには行けませんでしたが、激戦の神奈川で準優勝しました。インターハイにはあと一歩でした。)

まあ、大学に進んだ後は、バブルの時代でもありましたし、もっと楽しいキャンパスライフを送ろうと考え、空手はやめました。その代わりというわけではありませんが、冒頭で申し上げたように世界に対する関心が高まり、米国テネシー州の大学に2年間留学をしました。

それまで英語は決して得意ではありませんでしたけれども、この2年間で得た英語力の下地が、後々のグローバル企業での仕事で生きてきました。

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