[5]ご自身の専門性をいつごろ決めたのでしょうか?
その理由についても教えてください
HRを自分の専門性にしていこう、という気持ちはもともとありませんでした。たまたま最初に入った東芝で人事部門に配属されたことがきっかけです。ただし、この時に培った知見があったからこそ、次のシティやメリルリンチでのチャンスを手に入れることができたのだと思ってはいます。
[6]専門的スキルは主にどこで獲得したのですか?
これまで私は、常に視座を高く持つことを信条としてきました。例えば自分が採用を担当しているとしても、「この決定をトレーニングの担当者はどう捉えるだろう」とか、「別の部署の人たちはどう考えるだろう」といった想像を常に持っていた。それがあったからこそ、シティからオファーをもらった知人に代わって入社することができたのだと自負しています。
どんな仕事を任されているにしても、常に次のチャンスを取りに行ける準備をしていきました。ファイザーでカプスゲルの部門会社にいた時も、常にCEOが不在の時、自分がいつでも代わりに動けるよう想定していたことが自分自身を高めるきっかけになりました。「次」を想定し、視座を高く持つ。その繰り返しでCHROの専門性につながるスキルを少しずつ得ていったように思います。[7]リーダーシップやマネジメントに関する経験やスキルは、いつ、どこで獲得したのでしょう?
実質的なマネージメントを初めて経験したのはメリルリンチ時代でした。結果はどうだったかというと「笛吹けども踊らず」。メンバーに対し、闇雲に「頑張れ、頑張れ」と言うばかりで、効果を上げることができませんでした。
手応えを得られたのはファイザーに移ってから。組織ぐるみでやるべきこと、人にやって欲しいこと、というように物事を状況やケースによって切り分けていく発想を身につけたことで、人もチームも上手くまわるようになったんです。[8]キャリア形成上の転機があったとすれば、それはいつのことですか?
大きな転機は2つあったと思います。1つは東芝を辞める時。6年の間に人事関連の様々な役割に就いていきましたが、辞める直前には当時の東芝の人事の本丸とでも言える人事教育部に所属していました。東芝における人事マンの出世コースに乗ったようなものです。なのに「辞める」と言い出したわけですから、周囲からは反対されました。
「東芝120年の歴史において初めてのことだ」と叱られもしました。それでも結局自分の気持ちを押し通したわけですが、この時辞めていなければ、まったく違う人生を歩んでいたはずです。
もう1つの大きな転機は、つい最近のこと。このアラガン・ジャパンに来たことです。2012年当時、社員はわずか40名程度でした。これを自らの手で今の規模にまで大きくした自負が私にはあります。過去に在籍した国際的な大企業と比べればまだまだ小さい組織でしょうけれども、私には大きな達成感と充実感があるのです。[9]強く印象に残っている試練やストレッチの経験について教えてください
試練もまた2つありました。1つはメリルリンチが日本から急遽撤退することになった時。もう1つはファイザー時代に経験した大規模なリストラです。双方ともまさに、登っているハシゴを途中で外されるような体験でした。
グローバルな企業の一員として働く中で時には理不尽な出来事が起き、自分がその当事者となってしまうことがあります。そして決して小さくないダメージを被ります。しかし、それでも私はこの仕事に誇りを持っていますし、かつて理不尽だと感じた出来事も今では「それがサラリーマンというものじゃないか」という風に考えることも可能になりました。
「イヤならば起業して自分の会社をやればいいじゃないか」と思うわけです。実際、ほんの短期間ですが、ファイザー時代の仲間が起業をした際に、少しお手伝いをしたこともありました。しかし、それでも私はHRの仕事をし続けて今ここにいます。
ストレッチについては、ずっと貫いてきた1つの姿勢が味方になってくれました。それは、過去に経験したことのない職務でも「できます」と言って挑んできたことによるストレッチ。東芝からシティへ移る時、実は新卒採用は未経験でしたが「できます」と言い切って、着手したんです(笑)。
「石橋をたたいて渡る」ようではチャンスはめぐってきません。やったことがないからできないなどと思わず、「できる」と言い切って、その責任を全うするためにチャレンジし続けてきた。だから、今ここまで成長できたのだと自分では思っているんです。[10]影響を受けた先輩や、師匠といえるかたはいらっしゃいますか?
多くのかたに影響を受けてきましたが、忘れられないのはメリルリンチ時代の上司です。当時の採用方針は異常ともいえるほどのもので、毎月50人を採用していくというミッションでした。証券会社というのは実にシンプルで、人の数が減ればそれだけ業績も縮小してしまう性質を持っています。
つまり採用拡大は会社としての死活問題。するとあるとき、次々に採用しても毎月数十人が辞めてもいく環境下で、その上司は「ありきたりの方法だけでは追いつかないから、あらゆる方法を考えてみよう」と言い出しました。
そしてたどりついたのが「1人の採用担当が年間400人を獲得しようとしたら、1日に1人採用しても追いつかない。でも、400人が採用に当たって、それぞれ1人を採用すれば、あっという間に目標を達成出来る」という発想でした。
つまり人事部門だけでなく、他の部署の社員にも協力してもらう。このやり方が成果を上げたんです。発想の転換、多角的にものを見て考える姿勢。そういうものを、私はこの上司から学びました。[11]座右の銘や、独自の哲学などをお持ちですか?
6番目の質問への答えで申し上げたように、私は常に「次」に向けた準備をする、というこだわりを持っています。今でも若手社員に「生き急げ。石の上には3年もいるな、3日でいい」などと言ったりもします。自分がするべき仕事に対して、妙なこだわりを持たず、次のチャンスにつながる準備を怠らずに生きていくことが私自身の信条ともなっています。
また、ファイザーでカプスゲルの事業に携わっていた時期、私はしばしばCEOの代わりに人前で話をさせられました。決して人前に出るのが好きな性分ではなかったのですが、例えばCxOを目指そうと思っているのならば、人前に出ることを嫌うようでは務まりません。しゃべる時のためのネタ帳を用意していたっていいぐらいの仕事だということは、理解しておいた方がいいと思います。[12]感動し、影響を受けた本や映画などがあれば教えてください
少し前のことですが『学問のすすめ』の現代語訳が出版されたので読みました。まあ、慶應義塾出身ですし、福沢諭吉先生のこの本を一度しっかり読まないと、と思って読んだのですが、思いもよらず衝撃を受けました。
書かれたのは明治時代の初頭です。これから日本がまさにこれから文明開化をしていこうという時、この先どうなるのか誰にも見えなかった時代に、ここまで具体的にその展開を見通していたのかと驚いたわけです。こじつけかもしれませんが、やはり視座の高さは重要なんだ、とつくづく感じ入りました。[13]CxOというキャリアの将来性や、今後期待される役割について、どうお考えですか?
私はCxOというタイトルのことを、これまで長年日本にあった役職とは別物だと考えています。例えば旧態依然の日本の会社では今もなお「サラリーマンすごろくの勝者」が社長になります。課長職あたりから意志決定者としての役割は始まるものの、要はまわってきた書類に判を押すだけ。社長になっても、「最後に判を押す人」になっただけで終わってしまう。
しかし、今後このような存在が経営者として成果を上げていくことはますます困難になります。CxOというのは、他人が示した方向性を承認するだけの存在とは違います。自らが方向を指し示し、デシジョンを下していく存在。
だからこそ「オフィサー」なのです。究極の仮説思考と責任感で自ら道を切り開いていくCxOが増えていくことで、日本企業のビジネスや経営のあり方は良い意味で変わっていくことでしょう。
ではCHROの使命とは何なのかといえば、文字通り「人」に関わるオフィサーとなること。プロ野球などを見ていて痛感するのは、結局、いい選手を獲得し、その選手が活躍しやすい環境を築いたチームが強くなるということ。試合中の一投一打はもちろん大事なのですが、チームは人によって築かれるもの。
その責任をCHROは任されることになるのです。数字や理論と違い、人というのはこじれる性質を持っています。そのぶん難しいわけですが、だからこそ力のふるいようもある。今後、CHROの存在意義は今よりもっと大きくなっていくと私は信じています。[14]ご自身の今後のキャリアビジョンについて教えてください
人によっては「次はリージョンだ」と考えるでしょうし、「次はCEOだ」と考える人もいるでしょう。しかし、私が考える「次」は違います。今後ますますCHROとしての力をつけていきたい。「勝つために人を集め、人を動かす役割」のフィールドで戦い続けたいと考えています。[15]若い方々へメッセージ、アドバイスをお願いします
繰り返しになりますが、「生き急いだ方がいいですよ」と伝えたいですね。日本では以前から「1つのところに長くいたほうがいい」という発想が根付いていますし、それは一理あるのですが、CxOとなって経営視点で道を切り開く存在になろうというのならば、生き急ぐぐらいでなければ間に合いません。
どんどん「次」を取りに行くべきです。必要なのはシミュレーションとレディネス。「自分が経営者ならどうする」というような究極の仮説思考と、それに基づいた準備とを重ねて、常にチャンスを取りに行く姿勢を保ち、生き急いでほしい。そう願っています。