[1]自己紹介をお願いします
学生時代の私は「やるならばプロフェッショナルな仕事。どうせ働くのなら(普通の)人とは違う場で働きたい」などと、いきがったセリフをよく口にしていました。しかし、実際に就職活動を進めていく中、結局手に入れた内定は大手総合商社や外資系投資銀行ばかりでした。「このままでは自分が言っていたことと全然違うじゃないか」という自己矛盾を抱え始めた時に、ドリームインキュベータ(以下、DI)の存在を知り、入社することを決めました。
今でこそ規模も大きく、知名度も高いDIですが、当時(2004年)は設立からまだ4年で規模も小さく、初めて新卒採用を行った年。同期入社はわずか2名のみという環境下、早々に現場に投入され、次々と案件を経験する中でコンサルタントとしての仕事を覚えていきました。
想像を絶するような忙しさではありましたが、まさに学生時代に志していたような経験と成長を手に入れることができたと思っています。なによりも糧になったのは、常に大手企業とベンチャー企業の双方を担当し、いずれも成長支援をテーマとしたプロジェクトに携わり続けた点です。「大企業とベンチャーへの支援を両輪に」というのはDI自体がアイデンティティとしていたポイント。
おかげで「高水準な戦略を問われる局面」、「戦略の出来映えよりも実行段階での結果に強くコミットすべき局面」の両方をバランス良く経験することになり、私自身の成長に良い意味で影響を与えてくれたのです。担当したプロジェクトの業種が多岐に渡っていたことも、私としては大いに勉強になりました。
入社から丸4年が経過するとマネージャーに就任し、それ以降は市場の成長性や自分自身の将来も考え、特にコンシューマーグッズの案件やプライベートエクティの投資案件を数多く支援・担当していきました。その後、2011年にDIは事業投資の一環としてアイペットを買収したわけですが、当時のアイペットは「売上規模24億円、収益は赤字」という状態の少額短期保険業者でした。
大きな将来性を見込んでの投資とはいえ、その経営を建て直すチャレンジは容易ではありません。アイペットの中に入り込み、「支援」ではなく「当事者」として変革を目指そう、という人間は社内には多くはおりませんでした。しかし、私の目にはアイペットが非常に魅力的に映ったのです。
「リソース不足の状況を抱えながら、短期的にも中長期的にも成功していくことを義務づけられる」というのは成長企業の常ですが、その渦中に入って、これまでに培った力をハンズオンでふるってみたい、という気持ちが私の中で膨らんできたタイミングでした。
そしてもちろん、アイペットがリードする国内ペット保険市場の将来的な成長性にも魅力を感じてもいました。そこで2012年に自ら手を挙げ、このチャレンジに参画したわけです。2016年にはDIを辞め、正式にアイペットへ入社。「筆頭株主から派遣された変革担当者」としてではなく、アイペットの人間として、この会社の成長を目指しています。
[2]現在の社内での役割について教えてください
COO、CFO、CTOなど、いわゆるCxOの範疇である役職名は日本でもだいぶ浸透してきましたが、CSO、つまりチーフ・ストラテジック・オフィサーという役割はまだ馴染みが薄いかと思います。要は戦略策定〜実行というものに軸足を置きながら会社経営における責任を果たしていく立場。アイペットにおける私の役割を具体的に挙げれば、3つに分かれます。
まず1つは経営企画部を所管して、この会社の中長期的成長を見据えた戦略の策定を行っていくこと。もう1つの立場は社長室の管掌。現実の企業活動では、すべてがキレイに戦略通り実行されるわけではありません。非定型な案件も時には浮上しますし、戦略で見込んでいた事柄とは無関係にポテンヒットのような成果が上がったりもします。そうしたイレギュラーな事象も含めたあらゆる経営イシューにタッチしていくのも、私の仕事の1つというわけです。
そして3つめとして、所謂コーポレート・ディベロップメントについても、私が担当させて頂いております。リアルで短期的な戦略実行の場として現場に深く関わる一方で、事業提携や出資事案にも携わっています。
つまり、長期的なビジョン、「あるべき論」の青写真を描きつつ、短期的で現実的な視点も併せ持ちながら戦略を現場に落とし込み、実行に責任を持つのが私の役割です。おかげさまで前期(2015年度)には売上81億円を達成し、収益でも4億の黒字を達成。今期(2016年度)はついに売上規模で100億の大台を達成できるかもしれないところまで成長することができました。
現在は近い将来の上場プランも踏まえつつ、社長をはじめ、営業のトップやCFOらと形成している経営チームの一員として目標の実現を目指しているところです。[3]小中学生時代はどんなお子さんだったのでしょう?
ごくごく普通の、野球に夢中な少年だったと思います。ただ、小学校4年生くらいの時、「この程度の腕前では将来、野球選手になるのは無理だ」と自分なりに判断し、親に「野球じゃ食えないから、勉強を頑張る」と進言したんです(笑)。土下座して進学塾に通わせてください、とお願いをしました。この話をすると、たいてい「子どもらしくない」と驚かれますが。
そうして実際、5年生からは塾に通って毎晩午前2時ごろまで受験勉強をして、中高一貫の進学校に入学しました。「食うための勉強」(笑)は、その後も継続しましたが、中学に入ってからはバスケットボール部に入り、これにも熱中していきました。[4]高校、大学時代はどのような学生でしたか?
高校でもバスケ部に入って、キャプテンもやりました。中学の頃と変わることなく勉強とバスケットの毎日で、大学受験の勉強は高校3年生の夏休みで終わっておりました。が、そうして京都大学に合格すると、これまでの反動がものの見事に出ました。
金髪のロンゲというスタイルで(笑)、当時盛んだったクラブイベントを開催するサークルに入り、わいわいとやっていました。それでも今振り返ってみると、この頃の様々な経験がすべて、その後のビジネスでの成長に大いに役立ったように感じます。
進学校にいながら受験勉強とバスケットを両立させたことで、タイム・マネージメントをはじめ、あらゆるリソース・マネージメントを自分なりに実行できるようになりました。また、バスケット部のキャプテンやイベントサークルでの活動を通じて、「アイデアを考え、それを皆にプレゼンし、最終的にはチームをまとめて実行していくところまで責任を持つ」という体験もできたわけです。
好きなことを好きなようにやっていた学生時代でしたが、結構、将来につながるようなこともあったのだな、と思っています。[5]ご自身の専門性をいつごろ決めたのでしょうか? その理由についても教えてください
自分ではまだ「専門性を確立した」とは考えていません。そもそも戦略というものは、それぞれの企業が置かれている状況次第で大きく変化します。非常に個別性の高い分野であり、うまくいったかどうかは結果論でしか見えてこないものなんです。とはいえ、これまで戦略の立案から実行に至る部分に携わり続けてきたことで、多数の汎用性のあるスキルは手に入ったと自負しています。
アイペットのような数百名規模の会社を伸ばしていくのに必要な様々なスキル、能力の多くはDIでの実務の中で吸収したと思っています。ただし、売上が1兆円規模のような大企業で戦略の専門家となっていけるような専門性をマスターできているとは思いませんから、「専門性をすでに確立したとは思っていない」と申し上げたまでのこと。
「なぜ戦略というものを専門にしようとしたか」という点については、深く自己分析したわけではないのですが、もともと好きな領域だったのは確かです。日本のビジネスパーソンには「三国志」を好む人間が多いと思いますけれども、私もその一人。特に諸葛亮孔明や司馬懿といった軍師に魅力を感じてきましたから、勝つための計画を練り上げる戦略の仕事にも魅了されていったのだと考えています。
とはいえ、DIというコンサルティングファームに入ってみて気がついたのは「戦略」好きにも2パターンある、ということ。1つは戦略を作ることそのものが純粋に好きな人、もう1つは戦略策定も好きだが本当のところは、支援をしたりお節介をやくのが好きでコンサルタントをしているというパターンの人。私はどちらかというと後者に近いと思っています。