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画像:岡 慎一郎 氏

CxOインタビュー

岡 慎一郎 氏

2000年の設立直後からコア事業であるネットリサーチにおいて先進的な取り組みを行い、 いまや5,000社以上の顧客企業と年間20,000件以上の市場調査実績、 そして業界随一の売上実績を得てナンバー1企業となったマクロミル。
2014年の株式非公開化を伴う経営改革以降はオランダに本社を構えるMetrixLab社を買収し グローバル化を加速、78ヵ国以上での海外調査実績を上げるなど、 さらなる成長フェイズを迎えている。
そして、この流れの中でHR分野におけるグローバル化の担い手として参画したのが岡慎一郎氏だ。 人事分野のCxOであるCHROとなった岡氏は何を目指し、 いかなるアクションを起こしているのか?どんな発想と信条を持つ人物なのか?
15の質問を通じて答えてもらった。

岡 慎一郎 氏
株式会社マクロミル
執行役 グローバルCHRO
http://www.macromill.com/

1969年、岡山県生まれ。横浜国立大学卒業後、1991年に東芝入社。一貫して約10年人事部門に所属した後、2002年に米国ユナイテッド・テクノロジーズへ転じ、シンガポールをベースにASEAN地域およびAPAC地域の人事責任者を担う。2008年、IBMへ入社すると、日本IBMのビジネスコンサルティング部門人事担当理事、ニューヨーク本社のタレント・デベロップメント・ディレクター等を歴任。2013年の日本への帰国後、日本コカ・コーラで人事ディレクターを務めた。そして2015年9月、経営および組織全体のグローバル化を目指すマクロミルにグローバルCHROとして招聘され現在に至っている。

[1]自己紹介をお願いします

私が就職をした時期の日本はバブル期でしたから、他の学生たち同様、さして将来について深く考えもせずにいました。それでもいわゆるミーハー的な海外志向だけは強くあり「いつか世界で活躍したい」との思いから、チャンスのありそうな大手商社やメーカーの採用試験を受けていきました。英語には全く自信がありませんでしたが。

そうした中、最終的に選んだのが東芝だったのですが、配属されたのは人事部門。おまけに最初の勤務地は栃木県にある工場。早々に海外で仕事ができるような部署ではありませんでした。スーツを着て颯爽と世界を飛び回るようなビジネスマン生活を想像していた私は、作業着と安全靴を着用して那須高原の医用機器工場で人事担当として働くことになったわけです。

若い社会人にありがちかもしれませんが、「こんなはずじゃない」と不満を抱えながら3年間ほど中途半端に仕事をしていました。そんな私を大きく変えてくれたのが、当時の上司、たたきあげの課長でした。

「まともに仕事もできないのに文句ばっかり言うんじゃない。一人前に仕事ができるようになってから言え。10年我慢したら認めてやる」。そういう風に言われ「ようし、わかった。やってやろうじゃないか」と。「売られたケンカは買う」タイプの私ですから(笑)。それ以来まじめに、前向きに働くようになりました。

人事部門と一口に言っても、役割は多様です。採用、人事制度構築・運用、給与計算、人員編成、教育、福利厚生などなど。しかも東芝には国内だけでも多数の拠点や事業部門がありました。

いくつかの職場で与えられた仕事をなんとかこなしていった10年をすごし、ようやく人事の専門家として一人前になってきたかなと思いはじめた頃、東芝の空調機器部門を社外に出し、米国企業(UTC : ユナイテッド・テクノロジーズ社)とジョイントベンチャーを設立するプロジェクトが立ち上がりました。

私はそこで人事関連の交渉窓口を任されることになったんです。自分にとっては未知の領域の仕事だったので務まるかどうか不安はあったのですが、「ようやくチャンスが巡ってきた」と思いました。

UTC社は航空機用ジェットエンジンやエレベータ、それに空調機器なども手がけるアメリカを本社とする多国籍企業です。そのような会社とのJV事業となれば、学生時代から夢見ていた海外での仕事が実現するかも、と感じたわけです。

事実、デューディリジェンス、千人規模の社員の出向や転籍、人事関連資産の移管等の交渉を終え、JV設立が完了しようとしていた頃、UTC社からマネジメントトレイニーとしてグローバル企業のマネジメントを勉強しに来ないか、とのオファーをもらいました。

東芝本社に籍を置きながらの出向社員として身分でしたが、いよいよグローバルなビジネスパーソンとしての生活がシンガポールでスタートしました。約1年半のトレイニー生活を終え、一旦は東芝に戻りましたが、その後UTC社から「正式にUTCに転籍しないか?」という打診があり、転職を決意したのです。

しかし、ここからが苦難の道でした。JVパートナーである東芝からの出向社員という守られた立場から、正規の社員となったことにより、甘えは一切許されなくなりました。

シンガポールに駐在しながら、慣れない英語でアジアの職員や本社のアメリカ人と向き合っていたわけですけれども、すべては実力主義。しかも純然たる米国流経営の会社ですから、実績が伴わなければクビだって日常的にあり得る環境。一時はメンタル面でも追い込まれ、用もないのにチャンギ空港のロビーで一人呆然と座っていたりしたものです。

それでも、究極まで追いつめられたと実感したとき、ふと思い返しました。日本有数の優良企業で恵まれた環境のもと、それなりに評価をされていたと自覚していた自分には、無意識のうちに妙なエリート意識、言い換えれば「自分をいかに優秀にみせるか」という意識が芽生えていた。「自分はなぜこの会社に呼んでもらえたんだろう?」その原点に立ち返ったときに開き直ることが出来たのです。

「格好つけずになんでもいいから思ったことは遠慮せずに言ってやる」「英語での会話が理解できないんだったら、メールに書いて送ってやる」という勢いで周囲とのコミュニケーションを取り始めると、徐々に良い人間関係も出来上がっていき、転籍から1年半が経過した頃には自信を持って働けるようになり、ビジネスに対する貢献も実感できるようになっていました。

その後、ASEAN地域の人事トップを任され、次にはAPAC地域の人事トップにも就任したわけですが、そうして「次」を考えた時、新たな転機の訪れを感じました。

APACまで見るようになれば、通常、次のキャリアパスはアメリカ本社です。私自身、「現場に近いところでバリバリ働く」という志向が強かったこともあり、本社組織に入ることに若干の抵抗がありました。そのような状況の中で「そろそろ日本に戻る選択肢もあるかな」と考え始めていた時、米国のIBMからの誘いがありました。

それは、IBM日本法人のトランスフォーメーションに人事の立場から携わるのが最初のミッションとのことでした。「完全日本ドメスティックの東芝での経験と、完全欧米流儀のUTC社での経験、その双方を持つあなたに是非やってほしい」という依頼を意気に感じ、日本への帰国を決めました。

日本IBMで当初のミッションを終えた後は、米NYのIBM本社へ行きシニアエグゼクティブの配置・ローテーション、育成戦略策定などに関わりました。その後日本へ戻りトランスフォーメーション業務に携わりましたが、そこでは外資企業の日本拠点ならではの窮屈さも味わいました。

ちょうどその頃、日本コカ・コーラからお話をいただいていたのですが、この会社はむしろ日本独自の商品が成功して、グローバルでの発言力も保持していましたし、今までに経験の無い業界であるという点、非常に身近な製品をもつ点に惹かれ、入社しました。

そこでは人事業務全般を任せていただいてもいたのですが、経営変革を加速しようとしていたマクロミルのお話をもらい、これからグローバルに打って出る、というフェイズにも魅力を感じてここに来ました。

マクロミルは当然のことながら東京がグローバルヘッドクォーターです。そこから全世界のマクロミルグループ会社の組織文化や人事制度をゼロから創っていける。出来上がったものをFine-tuneするのではなく、メンバーと一緒に最初から取り組んでいける。しかも日本でナンバー1を獲得するだけの強みもしっかり持った会社です。それを世界に広げていける。こんな機会はめったにありません。

ここまでお話をしたように、私は一風変わった経歴の持ち主なのですが、そんな私にはぴったりの環境とタイミング。だからこの会社に来たわけです。

[2]現在の社内での役割について教えてください

CHROというタイトルは、日本ではまだあまり見かけませんし、それもあって「いわゆる人事本部長と何が違うんですか?」と聞かれることも多いのですが、やはり最大の違いは経営者の目線でHRを統括することにあると思っています。私の場合、社員という身分ではなく、執行役という立場ですので、そこはより明確です。

現実問題、マクロミルに来てからの私はファイナンス、IT以外のバックオフィス全体を管掌する立場にいます。総務や法務、広報や内部監査等も管掌しているのですが、その幅の広さ以上に「すべてにおいて経営責任を負いながら当たっていく」のが執行役としての役割だと認識しています。

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さらに私はグローバルCHROですから、マクロミルのグローバル戦略におけるHRのあり方にも責任があります。今後いかにグローバルに統合された組織を構築し、その舞台で活躍できるグローバル人材を育成していけるか。それが私の最大の役目であり責務だと考えています。

まだ着任してから時間が経っていませんが、まずは人事部門にいるメンバーの意識を高めていくことに注力しています。海外での今後の展開のことだけでなく、例えば営業部門などとの関係性におけるメンタリティなども改革していきたい。どんな企業でも最前線で数字を作る部隊に発言力が偏りがちで、「人事部門はあくまで彼らのサポート役でいい」という意識を持ってしまいがちなのですが、それではいけない。

とりわけグローバルなビジネスを展開するとなれば、セールスもバックオフィスも同等の立場から意見交換をして、両輪となって事を進めなければ成功できません。そうした意識を正しく私たち人事チームが持つこと。それが出発点だと思っています。

[3]小中学生時代はどんなお子さんだったのでしょう?

いたって普通の子どもだったと思っているのですが、東芝でのエピソードをお話した時に言いましたように「売られたケンカは買う」みたいな性質は小さい頃から持っていました。それもこれも岡山の古い家で、昔気質な親にすり込まれた気質だと思っています(笑)。ただ、そうして身についた負けず嫌いな性分のおかげで今の自分はあるのだと思っています。

とはいうものの、おそらく担任の教師たちからは「めんどうくさい子」だと思われていたと思います。それなりに成績も良くて、運動もできるけれど、態度が悪い(笑)。そういう子どもでしたから。

[4]高校、大学時代はどのような学生でしたか?

子どもの頃から走る・泳ぐのが得意で好きでした。小学生の頃からスイミングスクールに通い、中学、高校は陸上競技部に在籍していました。そのころにもチームをまとめる役割を担うチャンスは何度かありましたが、断っていました。そういうのは自分に向いていないと感じていたんです。

今でもそうなのですが、自分が頑張っている、努力している姿を人に見られるのが嫌いなんです。リーダーというのは皆のお手本になるべき存在。率先して努力する様子を見せていく存在だと思ってましたから、そんな役目を誰がやるものか、と(笑)。まあ、大学を出るまでずっとそういう人間でした。

[5]ご自身の専門性をいつごろ決めたのでしょうか?
その理由についても教えてください

正直「人事の専門家になる」という意味で言えば、それは私が主体的に決めたのではなく、東芝という大企業に入った結果です。東芝に限らず、ある程度のサイズを持つ企業に新卒で入社すれば、配属は否応なく決まりますし、そうして与えられた職務の専門性を伸ばしていくことになります。

ただ、冒頭でもお話したように、私は海外志向を強く持っていましたから、「グローバルなステージでHRの専門性を磨いていく」という意味合いで言えば、東芝とUTC社とのJVプロジェクトに参画したこと、それをきっかけとしてUTC社に移り、シンガポールに赴任したことが大きな転換点になったと思います。

そこでは立場上、経営者としての視点も意識したHR戦略の策定と実行が問われていましたし、当然グローバルでの展開がテーマでしたから、CHROとしての専門性を伸ばしていくスタート地点となりました。

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