[6]専門的スキルは主にどこで獲得したのですか?
繰り返しになりますが、東芝からの出向期間を終えた後、正式に東芝を退職し、UTC社の一員となってシンガポールに駐在した時です。いわゆるHR関連の多様な業務についての基礎知識は、東芝時代にこつこつと学びましたし、それがあったからこそUTC社にも評価をされ、招聘されたのだと思いますが、現在のグローバルCHROへとつながる専門性は、シンガポールでの様々な経験で得ていきました。
グローバルなステージでさまざまなHR課題と向き合うからには、多様性を受けとめ、そこに適応できるかが重要になります。10ヵ国以上の国籍の人間が集まったオフィスでしたから、思想や生活習慣、価値観、宗教の違いが当たり前にありました。たとえば、メンバーでランチに一緒に行くだけでも「違い」を実感します。彼は牛がダメ、彼女は豚がダメ、彼らはベジタリアン、みたいな「違い」も現地で実際に向き合って体感したことが大きかったですね。
[7]リーダーシップやマネジメントに関する経験やスキルは、いつ、どこで獲得したのでしょう?
これもシンガポールが出発点でした。東芝時代は何人もの部下を率いて指導する、というような立場には就いていませんでしたが、UTC社に移ってからはシンガポールにいるスタッフはもちろんのこと、ASEAN地域各国に飛んで、そこにいるリーダー・メンバーとコミュニケーションをとったり、評価をしたり、育成をしたり、組織を作ったりといった立場でした。本当の意味でリーダーシップを発揮し、集団をマネジメントしたのはこの時が最初だと言っていいと思います。
学生時代は努力している姿を見せていくのがリーダーだと思い、それがイヤで断ったりしていた私ですが、実はシンガポールでも自分の努力を見せるようなことはしませんでした。自分流にこだわったというよりも、部下と接する時には、感情的にならずサラッとつき合うべきなんだと実感したんです。
もちろん、優しく接するばかりでなくきついことを言ったりする場面もあるわけですが、だからこそ「オレはここまで努力してる。見習え。」みたいな言い方をするのではなく、各人の問題にストレートにシンプルに接していく、感情的にならず、ビジネス環境の変化にも動じることなくコミュニケーションをとっていくほうが納得をしてもらえるし、安心感を与えられると思っています。
グローバルの多様性を考えれば、自分の姿を見せるというやり方ではなく、相手の問題点を一緒に考えるやり方のほうが受け容れられる。だから、結果として私は自分の流儀にあった手法でリーダーシップを学んでいけたんだと思います。[8]キャリア形成上の転機があったとすれば、それはいつのことですか?
やはり東芝を辞める時が一番大きな転機でした。周囲から猛烈に反対されたのもこの時ですね。上司も親も友人も「せっかく一流企業に入ったのになぜ辞めてよくわからないアメリカの会社に移るんだ?」というようなリアクション。まあ、私の性格ですから(笑)「うるさい。もう決めたから。」という対応になりました。
けれども、結果としてそれで良かったと思っています。偉そうなことを言って、退路を断ってシンガポールに向かった以上、少々つらくてもおめおめと日本に帰るわけにはいかなくなりましたからね(笑)。
前に申し上げた通り、UTC社に移ってから最初の1年半は本当に精神的にも追い込まれたのですが、なんとか耐え抜いて生き残ることができたのも、こういう転身の仕方だったからです。もしもどこか日本の会社の駐在員として社命でシンガポールに赴任し、同じ境遇に遭っていたら、すぐに「もう無理。日本に帰らせてください。」と間違いなく逃げていたと思います。
踏みとどまってからシンガポールで手に入れた経験値の数々が、結果として後の私の道を切り開いていく原動力となったわけですから、あの時自分で決断して良かった、と痛感しています。[9]強く印象に残っている試練やストレッチの経験について教えてください
2つあります。1つは前にもお話をしたシンガポールのチャンギ空港で呆然としていた時期のこと。2つめもやはりシンガポール時代なのですが、最初の難局を乗り越えた後の話です。評価されるようになってASEANやAPAC地域のHRのトップになると、移動に次ぐ移動の日々が待っていました。
今日はシンガポール、明日はインド、そして数日後には韓国......みたいな生活が延々と続いたんです。時差もありますし、移動時間もそれなりにかかりますから、いつ睡眠をとるかといえば飛行機の中。何日もベッドで眠ることが出来ず、日付の感覚さえなくなるような日々で体力的な消耗を強いられたのですが、ありがたかった(?)のは当時の上司でした。
彼はアメリカの陸軍士官学校を卒業後にMBAを取得し、その後マッキンゼーを経てP&Gのマーケティングを担当した人。要するに超スパルタエリート経歴の持ち主(笑)。「酒には飲まれるな。タバコは吸うな。エグゼクティブたる者、身体を常に鍛えあげておけ。」と言われ、無理やり体力づくりに付き合わされました。そのおかげで、この時代のタフな毎日を乗り切れたと思います。シンガポール赴任中、1日として体調不良を理由に欠勤しなかったことを今も覚えています。[10]影響を受けた先輩や、師匠といえるかたはいらっしゃいますか?
2人います。1人は東芝時代の最初の上司。冒頭で申し上げた「言いたいことがあるなら一人前になってから言え」と叱ってくれた課長です。もう1人は今お話をしたシンガポール時代のスーパーマン上司です(笑)。
この2人の厳しさに出会えなければ、今の私はいません。とはいえ、私自身は彼らから言われたような言葉を部下や同僚に言ったりはしません。むしろ「自分で考えて行動しろ」というような厳しさで接しています。[11]座右の銘や、独自の哲学などをお持ちですか?
著名な人の言葉などを座右の銘にしてはいないのですが、自分流の主義というか哲学は持っています。1つは「なるようになる」「悩むな」というもの。問題に突き当たった時、考えることは大切です。しかし「悩む」ような事態は、考えても答えが出ないケースで発生しますよね?考えて結論が出ないのに、いつまでくよくよしていたって解決するはずもない。なるようにしかならないんだから、時間の無駄はやめよう、と自分に言い聞かせています。
もう1つはたびたび言いましたけれど「努力しているところ、もがいているところは他人に見せない」というこだわり。親にもそういう教育をされてきましたし、これまでタフな場面に遭遇しても、このこだわりは変えずにやってこられましたから、今後も続けていくつもりです。[12]感動し、影響を受けた本や映画などがあれば教えてください
人から薦められたりして本を読むことが多いのですが、中でも「なるほどなあ」と強く思わせてくれたのは、野中郁次郎さんの『失敗の本質』、ヤン・カールソンさんの『真実の瞬間』、デール・カーネギーさんの『人を動かす』ですね。[13]CxOというキャリアの将来性や、今後期待される役割について、どうお考えですか?
CHROというタイトルは、もはやアメリカやヨーロッパの企業では必須になっていますし、今後は日本企業でも必須になるでしょう。HRはファイナンスやリーガルなどと並び、非常に高い専門性が問われる領域です。しかもヒトとのつながりが存在しない会社などありませんから、必要不可欠になります。
グローバル経営ともなれば、その難しさはさらにレベルアップしますから、高い専門性と深い経験値を備えたCHROが成すべき役割は大きく、多様になっていきます。少なくとも「会社と社員のことを知っていればなんとかなる」などという見識では、世界を股にかけてHRを司っていくことはできません。
人事制度設計や組織構築、全社戦略に紐づいた人員計画、次世代リーダーの育成などというCHROならではの分野については、他人や書籍から学んだ知識で賄えるものではなく、それを実践した経験があってやっと身につくものだと思います。
社員一人一人の課題に向き合い、その解決に努力するだけでなく、より高い視点も持って経営判断をしていく存在は、時間をかけて育てていく必要がある。ですから私自身もマクロミルのHRのグローバル化を実現していくと同時に、将来その役割を担ってくれる人材を育てていこうとしているのです。[14]ご自身の今後のキャリアビジョンについて教えてください
本音を言ってしまいますと、「早く引退したい」です(笑)。それもあって、次を担える人間の育成を真剣に考えていたりもします。ただし、単に早く自由の身になりたいだけでこう考えているわけではないんです。
実は私同様、CHROあるいは他のCxOの任に就いている仲間と会って話す機会が結構あるのですが、必ず共感するのが「私たちは恵まれている」という感覚。CxOになるためのイス取りゲームがあるのだとしたら、現状の日本はイスの方がゲーム参加者よりも多い状況です。
多くの企業で人材を求めているけれど、務められる人間が足りていない。だから「自分たちは良いポジションにいる。路頭に迷う心配はない」という感覚にもなるのですが、日本のビジネスシーンの今後を思えば、それでいいはずがない。私たちの担っているような役割を引き受けられる人材が足りないのならば、どんどん育てて増やしていかなければいけない。
ですから私としてはこのマクロミルという若くて面白い会社で人のグローバル化、事業のグローバル化、組織のグローバル化というチャレンジに挑んでいき、それを通じて有望な人間を育て上げていきたい。そういう貢献の仕方をしたいと思っています。[15]若い方々へメッセージ、アドバイスをお願いします
メッセージは2つあります。1つは、目の前ある仕事をきちっとやってほしい、やりきってほしい、ということです。どんなにありきたりに見える仕事にだって意味は必ずあります。「とことん最後までやりきろう」と思って臨めば、やるべきことは次から次へと出てくる。
さらなる深みに入り込んでそれをやりきろうとすれば、必ず修羅場に遭遇します。この修羅場と向き合うことで、人は自分の限界値をさらに高い位置に持ち上げることが出来るのだと私は信じています。
当然そこでは大変な思いをするはずです。できれば柔軟性や適応力のある若いうちから挑んで欲しい。30代後半、40代になってから挑んだなら、簡単に心が折れてしまうような経験でも、若いうちならば乗り越えられるし、それが自分を高めてくれると思うのです。
もう1つのメッセージは「自分で決めろ」です。どんなポジションにいようとも、自分で決められるチャンスはあります。誰かに決めてもらうのではなく、率先して何事も自分で決め、責任を負って臨んでいく姿勢を続ければ、おのずと言い訳が使えなくなります。
そういう風に自分を持っていけば、最初のメッセージにつながってくる。自分で決めたんだから、最後までやりきるしかなくなり、修羅場と遭遇することになるわけです。結局は基礎が何よりも大切。それを高めていくチャンスは常に目の前の仕事にあり、自分の取り組み方次第なのだと思ってくれたら嬉しいです。