[1]自己紹介をお願いします
大学に上がる頃までの私は、国際関係の領域に関心を抱いていました。世界の国々はどうすれば共存できるのか、なぜ戦争のような諍いが絶えないのか、という疑問への答えを求めていたんです。でも、2年生の後半に履修した組織論の授業との出会いから変化が起きました。
シンプルに言えば、自分の中で眠っていた人や組織に対する興味が目を覚ましたのだと思います。1人ひとりが元気を出せば、組織も元気になるのだという気づきが新鮮で、「もっと学びたい」という思いが募っていきました。
「こう」と決めたら即行動に移すのが私なので、学部内での専攻も変更し、当時学内で最も厳しいと言われていた花田光世先生の組織論ゼミに入りました。組織はどうすれば活気づくのか、そこに属する個人はどうすれば元気になるのか、というのが私のテーマ。当時は明快なキーワードにしていたわけではないものの、その頃からすでに「モチベーション」が私のテーマだったんです。
組織論を学んだ学生がパソナのような組織人材関連事業を営む企業に入るのは、ある意味自然とも言えますが、それ以上のものを就職活動で感じていました。当然のことながらパソナ以外の企業にも就活で訪れていたのですけれど、何かしっくりくるものを感じられずにいました。
ところが、パソナのオフィスに入ったとたん、直感めいたものがわきました。オフィス内に漂う空気や、そこを往き来する社員の方の表情や身のこなし、交わされる言葉や笑顔などに「他の企業になかった活力や風通しの良さ」を感じ、「ここに入りたい」と心の中で即決したんです。
その決意は正解でした。ベンチャー企業ならではの自由な発想や価値観のもと、本当にやりたいことをやらせていただいたと思っています。アウトソーシング企業の起ち上げというジョイントベンチャーに参画するなど、4年間で数々の大きな経験と学びを得ることができました。
その一方で、私の気持ちの中には留学という選択肢が学生時代から存在していました。もともと父や母から「日本を離れて学ぶことの価値」のようなものを耳にして育ったこともありますし、自分自身、組織や人に関わる分野でもっと学びたい、という気持ちを持ち続けていたんです。
それでも新卒で就職した理由は、「組織や人事に関わる仕事は、実体験を伴わないと抽象的な理想論、空論に終わりがち」だと思ったから。「一度は社会人として経験値を積んでから学ぼう」という考え方に基づいてパソナに入ったわけです。
そして、一定の修練を獲得できたかなと感じた4年後、いよいよ留学を本気で実行しようと決めました。MBA取得のためにビジネススクールに行くことも少しは考えましたが、やはり私の関心事は組織と人です。組織心理学という分野があることを知り、これを学べる大学院を探した結果、コロンビア大学が浮上。入学のための準備を進めていきました。
実を言うとこの時、英語の勉強で苦労をしていました。TOEFL600点がコロンビアの合格ラインなのですが、何度受けても598点までしか行かない。あるとき思い切って大学側に「9月の入学時までに必ず600点に到達するので信じてほしい」と直談判したんです(笑)。自分でも「よくそんなことできたな」と思いますが、ダメで元々の気分で主張した時の情熱を買ってくれたのか、大学側も了承をしてくれました。
約束を果たすべく、まずは語学学校に入って英語を必死に勉強し、無事9月からの大学院をスタートすることができました。 そして入学後には、期待した以上の学びを得ることもできました。組織やマネージメントに関わってくる様々な心理学や、HR業務で重要となる多様なサーベイの手法、オーガニゼーション・デザインのノウハウ等々を勉強させてもらいました。
そうして修了が近づくと、人生2度目の就職活動を経験しました。事務作業をこなすことが期待される人事よりも、経営のパートナーとなれるようなHRを望んでいましたので、そこにこだわって就職先を探しました。実のところ、グローバルな視点で見ても、私が望むような在り方の人事がある企業はそれほど多くありませんでした。その当時はいくつかの国際人事コンサル会社やドイツ銀行、そしてGEくらいのものでした。
その中で、とりわけ刺激的だったのがGEでした。HRLPというプログラムが非常に魅力的だったのです。HRLPとは、HR関連のリーダーシップを養成していくための教育プログラム。GEグループが展開する幅広い事業の中で、HRに絡む課題を持つビジネスでHRパートナーとして組織の成長を強力にサポートする、という内容です。
8ヵ月間という限られた期間内に成果を上げ、2年の間に3つの事業や部門を担当することでリーダーとしての素養を培っていくこのプログラムを終えると、私は金融関連事業の担当となりました。任されたミッションはHR部門内の組織開発の業務でしたが、実際の事業を知らなければHRとして十分に機能できません。
金融関連の業務経験を持っていたわけではない私ですから、積極的に現場に足を向け、ディールにも同行して、少しでも業務を理解すべくできることをしました。
望んでいた通り、経営に直結するようなHRを任されたわけですから、大いに満足はしていたものの、同時に感じたのは「私は金融の仕事に向いていないのではないか」という思い。事業内容を把握するべく、必死で学んでも頭になかなか入っていかない時期が続き、「私ってこんなに理解が悪かったのか」と落ち込むこともありました。
それでもあるとき、こう気づいたんです「単に私がこの分野の物事を好きになれないだけなのではないか」と。「そうなのだとしたら、私は何が好きなの?」と考えたところ、すぐに答えは浮かびました。消費財です。
「いつか消費財の事業を営む企業でHRの仕事に就きたい」。それでもその当時、GEではHRリーダーとしての責務を任され、毎日とても刺激的で楽しかったので、いつか機会があったら消費財の会社の人事をやりたいな、と思っていました。そして声がかかったのが、ユニリーバ・ジャパンでした。
パソナでもGEでも、非常に居心地の好い環境を得て、のびのびと仕事をさせていただきましたが、それと似たような予感はユニリーバでも得ることが出来ました。パソナやGEとはまた違った種類の人間性の「良さ」をこの会社の人たちが持っていたからです。
「心根が良い」と言えばいいのでしょうか。おそらくそれは消費財メーカーだからこその素晴らしさなのかもしれません。自分たちの生み出す製品に強い自信を持っていて、その製品を通して世の中を良くしていこうと真っ直ぐに考える姿勢が「心根の良さ」を生み出し、組織全体に浸透しているのだと思います。
ただその一方で、成果に目を向けると安閑とはしていられない気持ちも浮かんできました。もちろんユニリーバは世界ナンバーワンを競い続けるトップ企業ではありますが、日本法人の実績を見ると、トップラインが出ていない事実もありました。
GEで徹底して「勝つための事業戦略」に携わってきた私は、例えば「前年比でダブルデジット(2ケタ)成長していなければ、勝ったとは言えない」という価値観の中にいましたので、そういう空気が感じられないことに違和感を覚えた部分もありました。
良い意味でメンバーの多様性を受け容れ、皆の意見を活かしていこうとするユニリーバの良さ、許容度の大きさを強みとして感じつつも、「勝つ」ことを徹底しきれていない点が気にかかったのです。
そこで、私なりに考え抜いた組織デザインや人材育成や活性化にまつわるアイディアをいろいろと実行し、チャレンジしていくことにしました。結果として、こうした挑戦が具体的な成果につながったことで私自身もよりユニリーバへのフィット感が強まったのだと思っています。 非常に感慨深かったのは、本当に好き放題にやらせてくれたこと。それはやっぱりユニリーバが持つ心根の良さであり、違いを受け容れる許容度の大きさによるもの。
GEとの違いを感じた当初の私は「まず1年ベストを尽くしてみよう。先のことはその時に考えよう」とさえ思っていたんです。ところが、中途入社から間もない私のやり方やアイディアを基本的に尊重し、それを結果につなげてもらえた。これはやはりユニリーバが元来持つ強さの発露だったと思っています。おかげで私もこの会社からたくさんのことを今もなお学び続けています。
[2]現在の社内での役割について教えてください
2005年にユニリーバはあらゆるシステムやストラクチャーを世界で一本化し、真にグローバルな企業となりました。そこから変革の3年が経過して、いよいよ「人をどうする? 組織をどうする?」という段階に突入した2008年に、私はユニリーバ・ジャパンに入社したわけです。
真の意味でグローバルなカルチャーを醸成し、HR機能を強化することが使命でしたが 、当時の私の上司は次々に新しいチャレンジを提案する私に対して一度も「ダメよ」とは言わずにやらせてくれました。だからこそ、のびのびと行動することができました。これも大きな学びの1つ。彼女が当時務めていたポジションに就いた今、私としてはさらにチャレンジを続け、ユニリーバ独自の強みを活かしながら勝てる集団にしていくことが役割なのだと考えています。