はじめに
「コンサルタントは参謀であり、傭兵のようなものである」と、コンサルティング業務を説明する時には、このような表現で伝えています。つまり、コンサルタントをクライアント企業が経営課題を解決する上で使用するツールの1つに過ぎず、コンサルタントの良し悪しを決めるのは使い手の技量次第というニュアンスも含んだ表現となっています。
一方で現実は、全てが使い手の技量次第という訳にはいきません。「使い手の習熟度」と「使われるツールの品質」の2つが、コンサルの良し悪しを分ける事となり、また、クライアントにとっての満足度(="役に立ったか否か")を左右する要素となります。言い換えると、使い手の習熟度は「クライアント企業がコンサルタントを使う目的・場面を理解して、しっかりと使いこなせるか?」となり、また使われるツールの品質は「コンサルタントの提供する成果創出の進め方、並びにその成果品質」ということになります。
しかし、ここで話を少し複雑にしているのは、ツールであるはずのコンサルタントが意思を持って自走し、また、時にはツールであるはずのコンサルタントが使い慣れていないクライアントへツールの使い方を教えている点にあります。つまり、更に突っ込んだ現実を見てみると、コンサルタントとクライアントのどちらに、役に立たなかった場合の原因があるかの特定は、ほぼ困難な状況となっています。
一方で、役に立たないと思われる原因を特定することは困難であると思考停止をして、コンサルタントとして何も対応をしなければ、コンサルティング産業への不信感に繋がることとなります。その為、私自身を含むほとんどのコンサルタントは変わることが出来るのは自分達の行動のみ、という思想に基づいて「使い手の習熟度」に、役に立たなかった場合の原因に含めることはありません。使われる我々コンサルタントに全責任があるものとして、常に受け止めて対応することとなります。
余談ですが、例えば「クライアントが内容を理解出来ていないのは、コンサルタント側の説明が下手だから」というフレーズをファーム内で良く聞きます。それは、前述の思想が背景にあると考えれば、将来、皆さんが似たフィードバックを受けた際に、前向きに受け止めることができるのではないでしょうか。
役に立たないと言われる原因
我々コンサルタントの成果物が役に立たないと言われる原因は大きく2つの場面でのミスに起因することが多いです。それは、1つ目は「不明瞭なイシューのままプロジェクトが始まる場面」、2つ目は「プロジェクトの進め方が悪く当初想定の成果品質を出せない場面」となります。
1つ目の話は、何を解けばよいか不明瞭であることから、クライアントも役に立った・立たない、の判断軸を持つことはありません。その為、「高額フィーを払ったにも関わらず、何のためにこのプロジェクトに取り組んだんだっけ?」と、プロジェクト終了が近くなると思い始めることが多くなります。結果、あれもこれも必要「かもしれない」とクライアント側も思い始め、コンサルタントへスコープ外の要求を迫る場合が多いとも聞きます。双方ともに疲弊する実りのない"炎上"プロジェクトとなり、コンサルタントがコンサルティング業界を離れる要因の1つに挙げられています。
余談ですが、最近はアプローチ型の提案書(何を解くのではなく、何をどの手順で取り組むのか)でプロジェクトを開始するケースが多いことから、この何のために?という状況の温床になっていると、いう方もおります。
2つ目のプロジェクトの進め方の話は、皆さんも想定通りの話かと思うので詳しくはここで解説することはしません。ただ、一点補足しておくと、進め方はプロジェクトマネージャーの力量次第と言っても過言でない部分はあります。
近年、コンサルティング業界の裾野が広がって来たこと、その裾野拡大に対応するようにマネージャーへ求める能力基準を下げて昇格させている実態があることからマネージャーの質は以前と比べると低下傾向にあると言われています。結果、コンサルタントは役に立たないと言われる状況も生まれやすくなっているのではないでしょうか。
最後に
本日の話はネガティブな側面をあえて強調して書いてみましたが、実際には役に立たないと言われる場面は少ない印象を持ちます。どちらかというと、コンサルティングのプロジェクトに関わっていない外野の方や、その取り組みにより影響を受ける方が発言されているケースを聞きます。
また、突き詰めて考えていくと、他の誰でもない自分自身の力量次第で、クライアントの役に立つことも出来れば、役に立たないと言われることにもなります。そのような、自分自身の信念と誇りを持って取り組むコンサルティングに興味を持たれたのであれば、是非挑戦をしてみる価値はあるかと思います。